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「女が東大なんて」にどう向き合った?【加藤登紀子】「母の“ガラスの天井”を、私が打ち破ったのかもしれない」

  • 2026.4.16

「女が東大なんて」にどう向き合った?【加藤登紀子】「母の“ガラスの天井”を、私が打ち破ったのかもしれない」

人と同じでなくていい——その「違い」を力に変え、人生を切り拓いてきた女性たちがいます。華やかな経歴の裏には、誰にも見えない葛藤と、「ガラスの天井」を越えてきた確かな歩みがありました。医師・鎌田實さんが、女性ゲストの人生をあたたかく、軽やかにひもとく新刊『女の“変さ値”』(潮出版社刊)。今回は、その中から加藤登紀子さんへのインタビューの一部をご紹介します。

天井なんてない、いつも空があった

女性の活躍を妨げる見えない障壁、いわゆる「ガラスの天井」を感じたことはあるか。この問いをずっと投げかけてみたかった人がいる。加藤登紀子さんである。

加藤さんには、僕が長らく続けてきた日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)などの支援活動にいつも協力をいただいている。加藤さんが数年前に黒海沿岸の国・ジョージアでコンサートを開催する際には同道のお誘いも頂戴した仲だ。

都内での対面インタビューが始まるなり“おときさん節”が炸裂する。

「正直に言うと私、『ガラスの天井』って感じたことないんです(笑)。そもそも私の世界観には天井がない。あるのは空だけ。私は生まれたすぐ後から難民生活をしていたから、天井もガラスも、柱も窓も何もなかったのよ。人生をマイナスからスタートしているから、普通に生きている時点でもう万々歳なんです。

2025年4月に幼少期から10代の頃までのことを書いた自伝を出したんだけど、その本のサブタイトルは“いつも空があった”なんです」

自伝とは『トコちゃん物語 いつも空があった――加藤登紀子自伝 誕生・青春編』(合同出版)のこと。天井はなく、いつも空があったというのはいかにも加藤さんらしい。

加藤さんは満州国ハルビン市で生まれ、2歳の頃に佐世保に引き揚げてきた。まだヨチヨチ歩きができるようになったくらいの時期だったが、その時期に覚えた言葉をのちに母親から聞かされた。

「引き揚げの最中に“お家へ帰ろう”って言ったらしいんです。家って言ったって、引揚者なんだから家なんてないの。あるのは一枚の煎餅(せんべい)布団だけ。それをグルグル巻いて持ち運べば、どこでも野宿ができますから。当時の私の家はその煎餅布団。柱も壁も屋根もない。だけど空はある。

家がない小さな子どもが“お家へ帰ろう”って皮肉な話でしょ。でも、周囲の大人たちにはウケたんだと思います。みんな可愛がってくれていたみたいですから。母親にはとにかく私が言った“お家へ帰ろう”がすごく残ったらしいです」

Profile 加藤登紀子さん

かとう・ときこ●シンガーソングライター
1943年ハルビン生まれ。65年、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。88年、90年にカーネギーホールで公演するなど海外での活動も多く、現在も国内外で活発にコンサート活動を続けている。

母親にとっての「ガラスの天井」

そのあと東京で暮らしていたとき、ある朝、加藤さんは母親にたたき起こされる。

「トコ、起きなさい! こっちへ来てみなさい。青空よ。綺麗よ!」

まだ眠い目をこすって母親がいる台所に行くと、昨夜まであった天井が綺麗になくなっていた。前夜の台風で飛ばされてしまったのだ。

「屋根が吹き飛ばされたのに、母は嬉しそうにしてるんです。“青空よ! 綺麗よ”って。まあ、バラック小屋で屋根が飛ばされることは珍しくなかったし、損失も大きくはないんだけど」

自身の世界観には天井そのものがなかった加藤さんだが、母親がずっと「ガラスの天井」と闘ってきたことは、早い時期から感じ取っていたようだ。

加藤さんの母親は、大正ロマンの時代に若い時期を過ごしている。いわゆる「モボ・モガ」の時代だ。それゆえに内面では旧習的な価値観からは解放されていたものの、社会にはまだまだそれを縛り付ける慣習があった。

「女は勉強したらあかんって言われて育ったみたいです。女性が仕事をするのは家の恥と言われていた時代だから、家の手伝いをしなさいと言われるわけです。母は洋裁学校に通ったみたいですが、結局、仕事には就(つ)きませんでした。そんな話をよく聞かされたんです」

母親の「ガラスの天井」を娘が破る

加藤さんは東京大学に進学するのだけど、その要因は母親の「ガラスの天井」にあったという。高校時代の加藤さんは学生運動の影響から樺美智子(かんばみちこ)に思いを馳(は)せるようになり、あるときに進路についての高校の先生との面談で「東大に行きたい」と口にする。するとこんな会話になったという。

「お前は勉強を全然していない。成績は下がる一方だ。いまのお前では東大なんて無理だぞ」

「先生、高校生にはやるべきことがあるんです。高校生は受験生ではない。浪人してもいい。私は卒業してから受験生をやりますから」

それほど東大に進学したかったわけではなかったが、先生に見得(みえ)を切った分、後に引けなくなった。

「それを父親に言うと、『東大なんか女が行ってもろくなことはない』って言うんです。すると うちの母はカチンと来たんでしょうね。『そんなことないわよ!』って。それで私の東大進学が決まったわけです。そういう意味では母がぶつかっていた『ガラスの天井』を、私が代わりに打ち破ったのかもしれません」

Profile 鎌田實さん

かまた・みのる・医師・作家
1948年東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり、潰れかけた病院を再生させた。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導いた。現在、諏訪中央病院名誉院長、地域包括ケア研究所所長。チェルノブイリ原発事故後の1991年より、ベラルーシの放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約14億円の医薬品を支援(JCF)。2004年からはイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施、難民キャンプでの診察を続けている(JIM-NET)。東北はもとより全国各地の被災地に足を運び、多方面で精力的に活動中。べストセラー『がんばらない』他、著書多数。

※この記事は『女の“変さ値”』鎌田實著(潮出版社刊)の内容をウェブ記事用に再編集したものです。

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