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ファッションファン必見。シャネルと『VOGUE』がともに歩んだ軌跡を辿る新刊『Chanel in Vogue』が発売

  • 2026.3.9
US版『VOGUE』2004年5月号より。カール・ラガーフェルド期のシャネルによるオートクチュールドレスとカシュクールを着用したニコール・キッドマン。スザンヌ・クチュール・ミリナリーのヴェールと、ニール・レーンのダイヤモンドネックレス、ロレイン・シュワルツのダイヤモンドイヤリングを合わせて。
US版『VOGUE』2004年5月号より。カール・ラガーフェルド期のシャネルによるオートクチュールドレスとカシュクールを着用したニコール・キッドマン。スザンヌ・クチュール・ミリナリーのヴェールと、ニール・レーンのダイヤモンドネックレス、ロレイン・シュワルツのダイヤモンドイヤリングを合わせて。

誰もが一度は目にしたことがあるであろうシャネルCHANEL)のスリングバックシューズのように、ツートーンのブックデザインが目を引く『Chanel in Vogue(原題)』が3月5日、Thames & Hudsonから出版される。『VOGUE』とシャネルの歩みにフォーカスした本作は全2巻構成で、ファッション史家のレベッカ・C・チュートが1910年から1982年までを、写真の専門家であるスザンナ・ブラウンが1983年から2025年までをカバーした。チュートは「20世紀のファッションに織り込まれた2つの物語」だと綴っているが、ファッションのみならず、イラストレーションや写真とも深い関わりのある内容となっている。

1913年1月15日号より。『VOGUE』に初めて掲載されたシャネルの帽子(右)。黒いサテンに羽飾りをあしらったこの帽子は、フランスの女優ガブリエル・ドルツィアットが舞台『Le Diable Ermite』で着用したもの。
1913年1月15日号より。『VOGUE』に初めて掲載されたシャネルの帽子(右)。黒いサテンに羽飾りをあしらったこの帽子は、フランスの女優ガブリエル・ドルツィアットが舞台『Le Diable Ermite』で着用したもの。
1935年11月15日号より。20世紀を代表する画家のひとりであるジョルジョ・ディ・キリコが『VOGUE』のために手がけたカバーアート。シャネルの手袋、バッグ、チョーカーが「貴婦人の装身具」として描かれている。
Vogue November 15, 1935 Magazine Cover featuring: Illus. of woman's brown purse and gloves on table with other accessories and view of room in background *** Local Caption ***1935年11月15日号より。20世紀を代表する画家のひとりであるジョルジョ・ディ・キリコが『VOGUE』のために手がけたカバーアート。シャネルの手袋、バッグ、チョーカーが「貴婦人の装身具」として描かれている。

ガブリエル・ココ・シャネルが初めて『VOGUE』に掲載されたのは、1913年1月15日号。当時ハットデザイナーとして知られていた彼女の作品のなかから、女優ガブリエル・ドルツィアットが舞台で着用した帽子が取り上げられた。

シャネルは設立当初から、ファッションだけでなくより広範な文化の世界との結びつきがあり、それは彼女の人生そのものを表していると言える。「ココ」という愛称は、キャバレー歌手として歌っていたときの曲にちなんでつけられたもので、1923年にはジャン・コクトーが脚色した『アンティゴネ』、1924年にはロシア・バレエ団の『青列車』、1939年にはサルバドール・ダリとともにモンテカルロ・バレエ団の衣装を手がけるなど、彼女は芸術家たちを支え続けた。その頃『VOGUE』は、コントリビューターのネットワークを拡大していった。

1934年3月1日号に掲載されたカール・エリクソンによるガブリエル・シャネルのポートレート。
1934年3月1日号に掲載されたカール・エリクソンによるガブリエル・シャネルのポートレート。
コンデナストの創業者、コンデ・モントローズ・ナスト。
コンデナストの創業者、コンデ・モントローズ・ナスト。

本作の著者は、シャネルと『VOGUE』の間にシナジー効果があることに着目している。シャネルがカンボン通り21番地に帽子専門店をオープンしたのは、コンデナストが『VOGUE』を買収したのとほぼ同時期の1910年。“伝説のファッショニスタ”ことダイアナ・ヴリーランドが『VOGUE』を去ったのは、シャネルが亡くなった1971年。カール・ラガーフェルドがメゾンのアーティスティック ディレクターに就任したのは、創業者の生誕100年後の1983年のことだった。大衆文化に深く浸透したシャネルと『VOGUE』について、チュートは「セルフプロモーションを理解しながらも自らのイメージを守り、名声と認知度を築き、伝説となるようにストーリー性を高めていった」と記している。

『VOGUE』の価値はそのクオリティにあったものの、媒体のシンボルとなるような人物は当時いなかった。それとは対照的に、シャネルはメゾンの顔であり、ひとりの女性としても魅力を持っていた。第二次世界大戦中、アトリエを閉鎖してスイスに移住した頃、シャネルはすでにモダンさを体現する存在で、それは彼女の後のデザインにも反映されていった。

1923年4月15日号より。キャプションにはこう綴られている。「『短くストレートに』はシャネルの不変のモットー。マネキン(左)はチンチラで縁取られた若々しいピンクのラメのショールを身に着けている。スーツのジャケットはウールのトリコット生地で仕立てたもの。黒のジョーゼットのコスチューム(右)はティアードスカートとケープバックのジャケット」
1923年4月15日号より。キャプションにはこう綴られている。「『短くストレートに』はシャネルの不変のモットー。マネキン(左)はチンチラで縁取られた若々しいピンクのラメのショールを身に着けている。スーツのジャケットはウールのトリコット生地で仕立てたもの。黒のジョーゼットのコスチューム(右)はティアードスカートとケープバックのジャケット」

第一次世界大戦前、19世紀のシャルル・フレデリック・ウォルトの曲線的なラインがポール・ポワレのコルセットを排した直線的なシルエットに取って代わったように、戦後はシャネルがポワレの地位を引き継ぐこととなる。1914年以前の衣装について、シャネルは「レースに、クロテンやチンチラの毛皮など、あまりにも贅沢な素材……女性は富を見せびらかすための飾りにすぎなかった」と回想していたが、これはまさに、女性を理想化したポワレのデザインに当てはまるだろう。

一方、自分自身のためにデザインしていたシャネルは、装飾を取り払い、実用的なポケットといった機能と動きを重視し、コスチュームジュエリーを定着させ、質素な生地を使って高級服を作った。1957年、『タイム』誌はシャネルを「“プア(貧しい)ルック”というジャンルを発明した」と評し、「彼女は女性に男性用のジャージーセーターを着せ、水兵用のトリコットをベースにしたシンプルなドレスを作った」と紹介した。マチュー・ブレイジーはこの素材使いを参考にし、デビューコレクションでウエストからジャージーニットの下着をのぞかせたルックを提案している。

1926年10月1日号より。シャネルのリトル・ブラックドレス。『VOGUE』はこの一着が女性の新しい定番になると紹介し、当時広く普及していたフォード社の黒の車にちなんで「シャネル・フォード」と称した。
Illustration of a model with head to the side and both hands on hips, wearing a black long-sleeved dress with a series of tucks that cross in the front, which is model 817 by Chanel, a tall black cloche hat, pearl earrings and necklace, thin geometric bangle b1926年10月1日号より。シャネルのリトル・ブラックドレス。『VOGUE』はこの一着が女性の新しい定番になると紹介し、当時広く普及していたフォード社の黒の車にちなんで「シャネル・フォード」と称した。
創設者が「シャネル・フォード」を発表してから100年以上が経った2026年春夏シーズン、ブレイジー初となるオートクチュールコレクションに登場したリトル・ブラック・ドレス。
Photo: Filippo Fior / Gorunway.com創設者が「シャネル・フォード」を発表してから100年以上が経った2026年春夏シーズン、ブレイジー初となるオートクチュールコレクションに登場したリトル・ブラック・ドレス。

シャネルがデザインする服には常に、動きや若さ、スポーツウェアやアウトドアの要素があった。チュート曰く「女性の生活がリアルタイムで変化していた」とき、シャネルはその変化に適応しながら布で表現し、『VOGUE』は誌面に記録した。

多彩な才能の持ち主であったシャネルは、メゾンを代表するモデルであっただけでなく、優れたビジネスセンスも持ち合わせていた。シャネルを彼女の自宅で撮影した『VOGUE』は、そのスタイルがいかに絶対的なものであるかを示したと言っていいだろう。この頃活動していた写真家のホルスト・P・ホルストはかつて、ナストがアーティストを支援したことがファッション写真というジャンルの確立につながったと語っており、同誌と契約していたエドワード・スタイケンに至っては「『VOGUE』をルーブル美術館に」と、編集長だったエドナ・ウールマン・チェイスに手紙を書いたことがあるという。

1954年3月1日号に掲載されたシャネルのスーツ。「シャネルのサプライズ:シャネルが生涯をかけて信じてきたものすべてを象徴するスーツ。ネイビーブルーのウールのジャージー生地で仕立てで、スクエアショルダーには目立たないパッド入り。2つのパッチポケット、ボタンを外して折り返し可能なカフス、サイドにプリーツが入った歩きやすいスカート。洗濯可能なタック入りの白いモスリン生地のブラウスにはカフスとカフスボタン、スカートにはボタンで留めるタブ付き。折り返しの襟、首もとのリボンが若々しい印象を与える」
Model wearing navy blue wool suit, with white blouse, dark bow tie, and hat, all by Chanel *** Local Caption ***1954年3月1日号に掲載されたシャネルのスーツ。「シャネルのサプライズ:シャネルが生涯をかけて信じてきたものすべてを象徴するスーツ。ネイビーブルーのウールのジャージー生地で仕立てで、スクエアショルダーには目立たないパッド入り。2つのパッチポケット、ボタンを外して折り返し可能なカフス、サイドにプリーツが入った歩きやすいスカート。洗濯可能なタック入りの白いモスリン生地のブラウスにはカフスとカフスボタン、スカートにはボタンで留めるタブ付き。折り返しの襟、首もとのリボンが若々しい印象を与える」

第二次世界大戦中をスイスで過ごした後、1954年2月に発表したカムバックコレクションはフランスでは不評だったが、アメリカでは熱狂的に受け入れられた。その5年後、『VOGUE』は1959年の「シャネル・パワー」がパリとアメリカで旋風を巻き起こしたとレポートした。そのパワーの基盤は、彼女のビジョン、そして努力であったが、チュートは言葉では定義しにくい、クリエイティブかつ神秘めいた要素がほかにもあったと書いている。『VOGUE』はさらに、シャネルを「一巻きの布で仕事をする最も偉大な個性主義者」と絶賛。シャネルはその布で、どんな女性でもアクティブな生活に合わせて着られるユニフォームを作り続けた。

シャネルの影響力は多大で、1969年には彼女の人生を描いたブロードウェイミュージカル『COCO』にキャサリン・ヘプバーンがセシル・ビートンの衣装を纏い演じたほどだ。1983年にカール・ラガーフェルドがメゾンのディレクターに就任すると、スーパーモデルたちの存在感はますます増し、ハリウッドとも関係を持つようになった。ラガーフェルドもまた、その生涯に幕を閉じるまでに、世界的に有名なデザイナーとしての地位を確立。ブラウンの言葉を借りれば、「セレブリティがカルチャーをリードする時代に、デザイナーがアイコンとなった」のだ。

1996年4月号より。1996年春夏コレクションのチュチュを纏ったシャローム・ハーロウ。「このコレクションはシャネルらしいもので、ユーモアがあり、パンクのタッチもある……オマージュでありながら、ウィットに富んだひねりを加えたもの」とラガーフェルドは語っている。
1996年4月号より。1996年春夏コレクションのチュチュを纏ったシャローム・ハーロウ。「このコレクションはシャネルらしいもので、ユーモアがあり、パンクのタッチもある……オマージュでありながら、ウィットに富んだひねりを加えたもの」とラガーフェルドは語っている。

「眠れる森の美女」とは、ラガーフェルド就任当初にシャネルを表現したときの言葉だ。彼はシャネルを目覚めさせることで、当時『VOGUE』が「反逆的なハイ&ローミックス」と呼んだスタイルを定番化した。ブラウンは、さまざまなフォトグラファーが撮影したシャネルの服を並置することで、「歴史的なエレガンスと若々しい反抗心」の共存を可能にしたと誌面で述べているが、これもラガーフェルドのアプローチを定義づけるものだった。

趣向を凝らしたランウェイショーやセレブリティで埋め尽くされたフロントロウは、メディアの拡大とも重なった。US版『VOGUE』が創刊されたのは1892年。1916年にはUK版、1920年にはフランス版と続き、1999年から2020年の間にはさらに15版が発刊され、『VOGUE』とシャネルのリーチを広げていった。

光沢のあるページに反映されるのは、常に変化するトレンドだけでなく、視覚文化の変化を反映した作品を制作するコントリビューターたち(アニー・リーボヴィッツが加わったのは1998年)の顔ぶれだ。彼らは、スタイケンが想像もしなかったようなテクノロジーにアクセスしていた。2003年の「不思議の国のアリス」をテーマにした特集はまさにその一例で、カール・ラガーフェルドのポートレートはPhotoshopによって可能になった、とブラウンは指摘する。ラガーフェルドの写真は午前5時に彼ひとりで撮影されたもの(ココという名前の猫を飼っていたスタイリストのグレース・コディントンは、ラガーフェルドが現れるのを一晩中待っていたそうだ)で、子豚を抱えたナタリア・ヴォディアノヴァのショットは後に追加されたものだった。

スティーブン・マイゼルが撮影したクリスティ・ターリントン・バーンズ。シャネルの1986-87年秋冬のオートクチュールピースを着用。
スティーブン・マイゼルが撮影したクリスティ・ターリントン・バーンズ。シャネルの1986-87年秋冬のオートクチュールピースを着用。
シャネルで彩られた世界各国の『VOGUE』カバー。
シャネルで彩られた世界各国の『VOGUE』カバー。

Style.comが始動したのは2000年のことで、コスチューム・インスティテュートがシャネルの特別展を開いたのはその5年後。そしてインスタグラムが登場したのは2010年。タイラー・ミッチェルはこのプラットフォームでポートフォリオを築き、2018年には『VOGUE』の表紙を撮影した初の黒人フォトグラファーとなった。

2019年にヴィルジニー・ヴィアールがアーティスティック ディレクターに就任すると、シャネルは再び“女性が女性のために”デザインするメゾンへ。ラガーフェルドの回顧展『Karl Lagerfeld: A Line of Beauty』がメトロポリタン美術館で開催された翌年の2024年、メゾンの鍵はマチュー・ブレイジーへと渡され、彼は現在『Chanel in Vogue』の第3巻につながるであろう物語を描いている。

Text: Laird Borrelli-Persson Adaptation: Motoko Fujita

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