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『花緑青が明ける日に』をクロスレビュー!森直人、SYO、数土直志、大島依提亜が“新世代の青春アニメ”の魅力を深掘り

  • 2026.2.27

新海誠監督や片渕須直監督の作品に参加したほか、ミュージックビデオやCMなど多彩な創作活動を行なってきた日本画家の四宮義俊が長編監督デビューを飾ったオリジナルアニメーション『花緑青が明ける日に』が3月6日(金)より公開される。先ごろ行われた第76回ベルリン国際映画祭では、日本のアニメ映画として初めて長編デビュー作でのコンペティション部門選出を果たすなど、すでに世界中から大きな注目を集めている一本だ。

【写真を見る】日本画家だからこそたどり着いた美麗作画。新海誠や片渕須直の作品にも参加した気鋭クリエイターが、満を持して長編アニメへ

このたびMOVIE WALKER PRESSでは、本作の公開に先駆けて、映画評論家の森直人、映画ライターのSYO、ジャーナリストの数土直志、グラフィックデザイナーの大島依提亜の4名によるクロスレビュー企画を敢行!「映画」「アニメ」「青春」「美術」といった様々な視点から、本作の魅力を深掘りしていきたい。

“映画”という枠をそっと超え、新しい感性の風が吹き始めた/森直人

淡い色調を幾層にも重ねた水彩画のようなトーン。冒頭から目を引く鮮やかな作画は実景以上に有機的な手触りを帯び、自然光の柔らかさや空気のゆらめき、森羅万象の生命力を繊細に伝える。画面の隅々まで美しく構成された『花緑青が明ける日に』は、映画言語を静かに更新する独自のタッチに満ちた作品だ。

日本画家の四宮義俊のメガホンのもと、日仏共同で製作された『花緑青が明ける日に』 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
日本画家の四宮義俊のメガホンのもと、日仏共同で製作された『花緑青が明ける日に』 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

監督は四宮義俊。日本画家として活動しつつ、ジャンルを超えて多様な映像表現を探求してきた彼が、オリジナル脚本も手掛けた初の長編アニメーションである。製作は日仏共同。『めくらやなぎと眠る女』(22)、『リンダはチキンがたべたい!』(23)、シンエイ動画と組んだ『化け猫あんずちゃん』(24)など、作家性と娯楽性を新たな回路で結びつける秀作を送り出してきたフランスのMiyu Productionsが参加し、本作は同スタジオの最新の成果ともなった。

物語は幼なじみとして育った三人の若者を中心に、4年の空白を挟んで紡がれていく。舞台は神奈川県の架空の海辺の町・二浦。創業330年を誇る老舗の花火工場・帯刀煙火店は、都市再開発によって立ち退きを迫られている。花火職人だった父の失踪後も、敬太郎(声:萩原利久)は実家でもあるこの工場に居座り続けていた。そこへ高校卒業まで地元で暮らしていたカオル(声:古川琴音)が久々に帰郷する。東京の美大に通う彼女は、市役所職員となった敬太郎の兄・チッチ(声:入野自由)に依頼され、町おこしのプロジェクトマッピングを手掛けることになった。

4年ぶりに再会した3人の幼なじみは、ある驚きの計画を立てる [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
4年ぶりに再会した3人の幼なじみは、ある驚きの計画を立てる [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

花火工場の立ち退き期限は明日。行政の都合や利権構造が絡むジェントリフィケーション(再開発にともない地価等が高騰し、もともとそこに住んでいた低所得層が立ち退きを迫られる現象)の影が差す中、カオルとチッチは“安全で穏当な”デジタル映像の花火を打ち上げようとしている。一方、敬太郎が目指すのは本物の花火――かつて父が追い求めた、「一発で世界が変わっちゃう」と劇中で語られる伝説の花火だ。

その花火は「シュハリ」と呼ばれる。名の由来は「守破離」だろうか。先人の型を守り、やがて破り、最後には離れて独自の流儀を確立する。茶人・千利休の言葉を基にした、芸道や武道における修行の三段階を示す概念であり、これを体現した者だけが真の創造者となる。

同じ火薬を用いながら、爆弾ではなく花火で空を彩る――そんな平和への祈りを込めた作品としては、大林宣彦監督の『この空の花 長岡花火物語』(12)や小島央大監督の『火の華』(25)が思い起こされる。だが本作の花火は、より広くアート表現そのもののメタファーとして立ち上がるようだ。そこには“毒”も含まれている。敬太郎の花火に欠かせない「花緑青」は、燃やすと青く発色する緑色の顔料で、美しさと引き換えに毒性を持つため、現在ではほとんど使われない。ちなみに日本画で用いられる岩絵具の「緑青」は、孔雀石(マラカイト)を原料とする古い緑色顔料で、日本画を象徴する色彩のひとつだ。こうして3人は、純度の高い自分たちのアートを守るための闘いへと踏み出す。日没の空に宇宙を描き、自らの未来と希望をつかむために――。

タイトルにもなっている「花緑青」は、美しさと引き換えに毒性を持つ顔料 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
タイトルにもなっている「花緑青」は、美しさと引き換えに毒性を持つ顔料 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

果たしてどんな花火が夜空に咲くのか。クライマックスの映像と音響は圧巻の一語だ。四宮が本作の構想を温め始めたのは2016年だという。彼が2020年に監督した眉村ちあき「冒険者~森の勇者~」MVが、3人組の少年少女を描いた本作の姉妹編のような趣を持っていたのも頷ける。今作ではさらにストップモーションなど異素材の映像表現が加わり、蓮沼執太によるサウンドスケープが物語の呼吸をゆるやかに広げていく。“映画”という枠をそっと超え、新しい感性の風が吹き始めたかのような一本が生まれた。

見たことのない映像と、懐かしい青春映画のハイブリッド/SYO

日本画家・四宮義俊の感性がほとばしった『花緑青が明ける日に』は、絵画的な映像表現に心を奪われる作品だ。『言の葉の庭』(13)のキービジュアルや『君の名は。』(16)の回想シーン、渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンに投影されたインスタレーション作品「トキノ交差」…彼が生み出す世界観は日本画の概念「花鳥風月」にも通じ、“自然”を淡くも瑞々しくエモーショナルに描き出す。

ビジュアルの美しさで、青春映画としての味わいもより豊かに! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
ビジュアルの美しさで、青春映画としての味わいもより豊かに! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

そのためこちらもビジュアル面に目が行きがちだが、彼の初長編映画となる『花緑青が明ける日に』と自分の出会いはそうではなかった。オフィシャルライターを担当した縁で、その全容に触れたのは脚本を通して。つまりこれまでの映像→物語とは逆となる「物語→映像」の順で向き合ったのだ。設計図から完成に至るプロセスを追った身としては、青春映画の形をとった青年たちの「現実との折り合い」を見つめたドラマの印象が強い。

ここで言う「青春映画」とは「後先考えない爆発するエネルギー」「大人たちへの反抗」を内包した作品、という意味だ。行政代執行により立ち退きが決まった花火工場に立てこもる弟・敬太郎を説得してほしいと兄・チッチに頼まれ、故郷に舞い戻った2人の幼なじみ・カオル。しかしいつしか敬太郎に感化され、幻の花火を打ち上げる作戦に加担していく。

敬太郎の声を担当したのは、これがアニメ声優初挑戦の萩原利久 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
敬太郎の声を担当したのは、これがアニメ声優初挑戦の萩原利久 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

この根幹的な「大人/権力/理不尽への反抗」のストーリーラインは、取り壊しが決まった団地に立てこもる少年を描いたフランス映画『GAGARINE/ガガーリン』(20)や『ぼくらの七日間戦争』(88)、『君の名は。』等々、青春映画の王道ともいえるフォーマットを踏襲している。花火はもちろん「夏の終わり(8月31日)」という舞台設定や台風ほか、青春映画の材料もそろえているし、“敵”側である市役所に就職したチッチと4年間引きこもって時間が止まったままの敬太郎による兄弟の決別とわだかまり、モラトリアム期の終わりを感じて「何者かにならなければ」と焦るカオルの心情描写も然り。“再会”という意味でのガールミーツボーイの物語でもあろう。『花緑青が明ける日に』は見たことのない映像と、どこか懐かしい青春映画の文脈がハイブリッドされた一作といえるだろう。

青春映画の名作を想起させるテーマ性にも注目! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
青春映画の名作を想起させるテーマ性にも注目! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

だが、本作の物語展開はある種の懐古にとどまらない。一見すれば文化芸術VS行政の対立構造を描いており、森林伐採による環境や生態系の破壊、土着の文化の衰退というテーマ、そして劇中にタヌキが登場することから『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)を想起する人もいるだろうが、居場所を奪われたものたちの末路を悲観的に描いて終わるのではなく、その先に微かな希望や共存の道を見つけようとしている。

かつての水軍は滅ぼされ、森林は切り開かれ、入江はなくなりソーラーパネルで覆われた。だが、旧(ふる)きが淘汰された先に新しき“美”を生み出すのもまた、文化芸術の力なのだ。なお、本作のタイトルは元々『A NEW DAWN(新しい夜明け。英題はママ)』だった。そこに込めた想いを感じつつ、3人の旅路を見届けていただきたい。

ベルリンが気づいた美しさと新しさ/数土直志

2026年1月、第76回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門公式出品作品が発表されると映画やアニメ関係者に驚きが広がった。四宮義俊監督の『花緑青が明ける日に』が作品の1つに選ばれたからだ。長い歴史の映画祭は多くの日本映画を見出してきたが、これまで日本のアニメーションからは山本暎一監督『哀しみのベラドンナ』(73)、宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』(01)、新海誠監督『すずめの戸締り』(22)しか選ばれていない。選考された時点で2人はキャリアも長く、国際的にも知られた存在であった。一方の四宮監督は、本作が長編アニメーション初監督。そもそもキャリアの軸は日本画で、アニメーションの世界で必ずしも知られているわけでない。

長編デビュー作にして第76回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門公式出品作品となった [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
長編デビュー作にして第76回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門公式出品作品となった [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

発表後、すぐに何人かの知人から、「四宮義俊ってどんな人なの?」と聞かれた。直ぐには答えられない。いくつかのアニメーション制作に参加していたことは知っていたし、渋谷の街頭ビジョンで展開した「トキノ交差点」の幻想的な映像は覚えている。ただアニメーションの監督・演出となると、どんな作品になるのか皆目見当がつかないのが正直なところ。

「いままで知られていない監督、これまでのアニメーション映画にはない新鮮さが期待されているのではないか」

とっさにでた言葉だが、後日、鑑賞する機会を得ると『花緑青が明ける日に』の魅力はまさにそこにあった。きっとベルリン映画祭のスタッフは本作を観た時に「みつけた!」と思ったに違いない。

これまでのアニメーション映画にはない新鮮な作画 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
これまでのアニメーション映画にはない新鮮な作画 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

新しさのひとつはアニメーション表現だ。手描きの作画、平面的なスタイルは、宮崎駿や新海誠にも共通する日本らしい手法だ。しかし、『花緑青が明ける日に』は、日本アニメの特徴であるキャラクターを縁取る明確な輪郭を持たない。主人公の敬太郎、カオル、チッチたちの姿は背景美術と連続し、画面全体のひとつになる。平面さは日本アニメの特徴ではあるが、本作では平面であることがより強調される。それは四宮の日本画家ならではの表現なのだろう。まるで美しいスケッチや絵本が生命力を持って動き出すかのよう、最後の花火のシーンはこれぞアニメーションの極致と思わず声をあげたくなる。

しかし美しい映像をみせつつ、ただの心地よい体験にとどまらないのが本作のもうひとつの魅力だ。『花緑青が明ける日に』を爽やかな青春映画だと思うと見誤る。古い家からの立ち退きには都市開発と地域の問題が示唆される。画面にしばしば映るメガソーラーの太陽光パネル、そこから垣間見える社会性。ただそれは強く主張せず、観るものに委ねられている。

共感こそが本作の最大の魅力 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
共感こそが本作の最大の魅力 [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

物語の最後に社会的な解決が与えられたのかは、観てのお楽しみだ。ただ敬太郎、カオル、チッチのなかでは、自分自身の答えは見つかったはずだ。心地よさのなかに漂う不穏さ。それはいまを生きる若者の現実でもある。『花緑青が明ける日に』が魅力的なのは、そうした作品に潜んだ観るものへの共感なのだ。

“作品を提示する”美術家としての強い意気込み/大島依提亜

アニメーションは生身の人間が動く実写映画とは異なり、どんなイレギュラーな部分であっても画で表現することができる。だからこそ作り手は、観る側の“気持ち良さ”に合わせてテンポ感や時間の流れをコントロールする選択ができるはずなのに、なぜだかこの映画は観ているあいだ、妙な“居心地の悪さ”がありつづける。

【写真を見る】日本画家だからこそたどり着いた美麗作画。新海誠や片渕須直の作品にも参加した気鋭クリエイターが、満を持して長編アニメへ [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
【写真を見る】日本画家だからこそたどり着いた美麗作画。新海誠や片渕須直の作品にも参加した気鋭クリエイターが、満を持して長編アニメへ [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

立ち退きを迫られた花火工場の家のベランダでカオルとチッチが並んで話しているところにいきなり敬太郎が現れ、屋根や階段を飛び降りていく冒頭シーンに始まり、食い気味な会話や動きの激しいアクションが繰り返される。一定のテンポのなかでセリフを追って、ストーリーを咀嚼するというよくある“流れ”を拒絶するかのように、あえてアニメ的なリズムを外して観客を“ノレなく”させていく。そのためこちらは素直にストーリーを入れさせてくれないストレスを感じつつも、気付けば不思議な高揚感に包まれている。これが長編第1作という四宮監督は、それを意図していたのだろう。

そういった意味では、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』(23)に似ているかもしれない。最近のアニメーションは、映画でもテレビでも作画から動きまで全部が完璧にコントロールされている。どれも宮崎さんの作品から端を発しているはずなのに、『君たちはどう生きるか』にはなぜか“抜けている画”が多い。おそらくそれは、すべてが綺麗な画と動きでできた緩急のないアニメーション表現へのアンチテーゼのようなものだ。弛緩しているところと緻密にこだわり抜いたところが顕著に見えているからこそ、後者が際立つ。

クライマックスの花火シーンは、この映画の最大のハイライト [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
クライマックスの花火シーンは、この映画の最大のハイライト [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

本作でそのような緩急を象徴的にあらわしていたのは、やはり終盤に訪れる花火のシーンだろう。ここでは一枚の画としてエモーショナルなものを成立させるのではなく、いろいろなショットのつながりやカット割りで全体像を見せるという難しさにチャレンジしていると見える。明解でわかりやすいカタルシスではなく、この妙にゆったりとしたクライマックスが選ばれるのはなかなかに独特で、日本画家で美術家でもある四宮監督の、“アニメを描く”のではなく“作品を提示する”のだという作家としての強い意気込みを感じることになる。

たとえばそれは、ある絵画が美術館のどこに置かれているのかという感覚にも近い。どんなに秀でた絵であっても、それ単体では魅力が伝わりきれない。展示してある美術展の全体の流れのなかで、どこに配置されているかを加味してはじめて見えてくるものがある。このような“クライマックスにふさわしい絵画を見せる演出”を、四宮監督は長編アニメという場を借りてやろうとしていたのではないだろうか。この花火の一連こそ、本作で一番作りたかったシーンに違いない。

日本画のようなタッチだが、動的な演出が物語のエモーショナルな部分を盛り上げる [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
日本画のようなタッチだが、動的な演出が物語のエモーショナルな部分を盛り上げる [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

リアリズムという意識に囚われることなく、時にはエモーションひとつで突っ走るところがあったり、普通の映画のような痛快さを拒んでみたり。『花緑青が明ける日に』は現代のアニメーション表現の“進化系”と呼べる作品だ。個人的には、美術系の学校に通う人や、歴史的なことを踏まえながら作品に当てはめていくのが好きな人がどう感じるのか興味が湧いた。美術の文脈のなかでこそ、本作の作品性をより深く読み解けることができるはずだ。(談)

国内外で活躍するimaseが歌う主題歌が、エンドロールに華を添える!

このように、どんな視点から観ても語らずにはいられない要素がたっぷりと詰め込まれた『花緑青が明ける日に』。エンドロールで流れる主題歌を担当しているのは、主人公たちと同世代のシンガーソングライターのimase。彼が歌うちょっぴりビターな楽曲「青葉」を聴けば、物語の余韻にひたれること間違いなしだ。是非とも是非とも映画館で“新世代の青春アニメーション”が放つ煌めきを受け止め、未来へと一歩進んでいくための活力にしてほしい。

『花緑青が明ける日に』は3月6日(金)公開! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners
『花緑青が明ける日に』は3月6日(金)公開! [c]2025 A NEW DAWN Film Partners

構成・文/久保田 和馬

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