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Bリーガーから起業家へ。元横浜BC・湊谷安玲久司朱が語る、引退から同級生2人と会社設立まで|『アレクの起業日記』#1

  • 2026.1.14

Bリーグが開幕して10年。コートを離れ、新たな道へと進む選手も増えてきた。一方で、引退後に「起業」を選択する者はまだ少ない。
2019年、横浜ビー・コルセアーズ(以下、横浜BC)で現役生活に区切りをつけた湊谷安玲久司朱(愛称、アレク)もその一人だ。30歳で引退を決断した彼は、その後起業の道へ。同級生の篠山竜青、橋本竜馬とともに、新たな会社も立ち上げている。
今回は、湊谷に引退の意思決定から起業のゼロイチ、仲間と進める「88 Basketball」を運営する株式会社はちはち 起業1年目の挑戦(合宿・全国キャンプなど)および今後の展開について聞いた。(プロバスケ選手ネクストキャリアのリアルを語る『アレクの起業日記』は今後不定期に掲載予定)

2019 年にBリーグ選手を引退。「30歳で引退するとは考えていなかった」

―― 2019年に横浜BCで引退されました。どのような理由からだったのでしょうか。

アレク:引退する2年前にアキレス腱を切ってしまい、8カ月ほどで復帰したんですが、それまでのように120%のパフォーマンスができなくなってしまったんです。体の限界というか、「もうケガをする前の体に戻れないんだな」という思いを抱えながらプレーをしていました。

2019年に引退を決断したのは、契約更新の場で横浜BCから「来シーズンは契約しません」と告げられたことでした。正直30歳で引退するとは考えていなかったので、他のチームともコンタクトを取ったのですが、B1チームからのオファーはなくて。B2、B3のチームからはお話をいただきましたが、120%の力でプレーできない体で、それまでB1という第一線でやってきたというプライドもありました。そう考えたときに、逆にここで区切りをつけて引退しようという気持ちになりました。

もともと、いつかはビジネスをやりたいという思いもありました。モヤモヤした気持ちで現役を続けるよりも、30歳から社会人として新しいスタートを切った方がいい、とプラスに考えました。一般的に考えれば、30歳から社会に出るのは決して早くはないですよね。

――もともと起業を考えていた背景には、ご家族や友人の方の影響があったのでしょうか。

アレク:一番大きな影響は、母と父です。それぞれ自営業でビジネスをしていて、その姿をずっと見ていたからだと思います。だからなのか、サラリーマンとして働くイメージはしていなかったんでしょうね。

画像: ©️ 88 Basketball

起業家の道へ「ケガがすごく多かった経験にフォーカスして」サプリメント会社で最初の起業

――引退後は西京漬けの販売をされていたそうですね。

アレク:ちょうど僕が引退したタイミングで、母が西京漬けの販売をはじめたんです。一人でやっていたこともあり、社会勉強の一環として、まずは家業の手伝いから社会人生活が始まったわけです。

――一番近くに学べる機会があったわけですね。

アレク:そうですね。あと、家業の手伝いだけでなく、横浜BCのスポンサー企業のところでも働かせていただきました。市場の中にある仲卸業者です。

――朝はかなり早かったのではないでしょうか。

アレク:いやもう……朝4時に起きて、5時に出勤。7時ごろまで市場で働く生活で、本当にきつかったですね。円形脱毛症にもなりました(笑)。スポーツ選手って、1日の練習時間だけで見れば、そこまで長くはないんです。自主練習やトレーニングなど、個人の裁量に任されている部分が大きい生活を8年ほど続けてきたので、その切り替えが正直しんどかったですね。

――その後、サプリメント「ReHope」を開発し、株式会社Alexisを起業されます。どのような背景があったのでしょうか。

アレク:最初からサプリメント事業をやろうと決めていたわけではありません。ビジネスをするなら、自分が本当に悩んできたことに近い領域がいいなと思って。僕は現役時代、ケガがすごく多かった。その経験にフォーカスして、「これをビジネスにするなら何ができるか」と考えたときに、サプリメントというアイデアが出てきました。

――体に入れるものなので、商品開発のハードルは高かったのではないでしょうか。

アレク:1年くらいかかりましたね。妥協したくなかったですし、とにかく良いものをつくりたかった。自分でも勉強しながら製造メーカーと何度も話し合って、試飲も何百回と重ねました。ただ、こだわりすぎて、最終的に原価が高くなってしまったという苦労もありました(笑)。

――原価と売価のバランスは悩ましいですね(笑)。事業を立ち上げにあたって、資金面はどうされたのですか。

アレク:銀行から融資を受けました。そのために事業計画書もつくりましたね。いまでも本当に感謝しているのは、横浜ビー・コルセアーズ時代のご縁なんです。当時、スポンサー企業の方と食事をご一緒する機会もあり、そのときにお世話になった皆さまが事業計画を考える上で力を貸してくれました。だからこそ、横浜BCで引退して良かったなと思っています。

――横浜BC時代にはキャプテンを務めたシーズンもありました。スポンサー営業や、チームイベント、記者会見など人前に立つ経験は起業にも活きていますか。

アレク:僕は本当に喋らないタイプで、人前に出るのも苦手でした(笑)。キャプテンをやる前は、そういう経験もなかったんですよ。ところが、当時の社長だった岡本(尚博)さんの「アレクがやったら面白いじゃん」というひと言で指名されてしまって(笑)。でも、そのおかげで人前で話すことにも慣れましたし、キャプテンを経験し、ケガも経験して、自分中心の考えからチーム全体を見るようになった。物事を客観的に考えるようにもなりました。だから今でも、30歳で引退して良かったと思っています。

「自分たちの経験を未来へ」―――同級生Bリーガーたちと会社を立ち上げる

―― 一方で、2024年6月から同級生である篠山竜青選手(川崎ブレイブサンダース)、橋本竜馬選手(ベルテックス静岡)とともに「88 Basketball」を立ち上げました。この1年、本当にさまざまな取り組みをされてきましたが、まずはどんなきっかけから始まったのでしょうか。

アレク:2年前くらいですかね。最初は篠山と橋本から相談されたのがきっかけでした。2人の間で「セカンドキャリアどうする?」「ちょっと心配だよね」という話があったそうで、「できることなら、バスケットボールの普及活動かな」という会話の流れから、すでに会社をやっていた僕のところに話が来たんです。竜馬とは大学(青山学院大学)も一緒ですし、3人とも同い年。比較的近い場所にもいましたから、まずは3人で会って話したのがスタートになります。そのときに、バスケットボールの普及活動の話になりました。やはり自分たちが経験してきたことを子どもたちへ繋げていきたいというか。「面白そうじゃん」と盛り上がって。その場で「クリニックをやろう」と決めました。

―― 3人で集まる前から、現役時代から定期的に連絡を取り合ったり、オフに集まったりされていたんですか。

アレク:それが、ないんですよ。試合会場で会えば喋るくらい。オフにご飯に行こう、とかはなかったですね。だから、88 Basketballの活動を始めてから、今では毎日のように連絡を取る関係になりました(笑)。

―― 「88 Basketball」では、3人の役割分担はどのようにされていますか。
アレク:僕が思っているので話すと、会社の“顔”は篠山です。知名度もありますし、発信力もある。橋本は、人と人の間に入って調整してくれたり、いろいろな人を紹介してくれたりします。僕は基本的に会社の実務全般ですね。重要なところは必ず2人に相談して、最後的に意志決定する役割です。3人のバランスはすごく上手く取れていると思いますよ。

画像: ©️ 88 Basketball 子供たちを対象にした 88 Basketball Campを開催している

「やりたいと思ったことをやろう」と突っ走った1年。福大大濠トロージャンズとのコラボイベントから能登半島への復興支援まで

―― この1年、「88 Special Camp × 福大大濠トロージャンズ」や全国各地でのクリニック、能登半島震災・豪雨の復興支援を目的とした活動(88 SMILE in Noto)など、精力的に活動されていました。

アレク:本当に、みんなが「やりたいと思ったことをやろう」と突っ走った1年でした。法人化して、先日1期目が終わったのですが、経営も順調で満足しています。1期目をたくさん動いた分だけ、2期目は進む方向をより明確にして頑張っていこうと思っています。バスケットボールの普及だけでなく、選手のセカンドキャリアを充実させていくことも考えているので、引退後の受け皿になるためにも、会社としてビジネスとして成長させていきます。

―― 特に大濠高校でのキャンプは大きな注目を集めました。

アレク:まずは、本当に片峯(聡太)先生をはじめ、大濠高校の皆さんには感謝の気持ちで一杯ですし、つないでくれた橋本にも感謝しています。参加してくれた中学生たちに、夢を与える機会になったと思いますし、開催して本当に良かったです。地方にも光るものを持っているのに、なかなかスポットライトが当たらない子たちがいる。僕たちは、そういう子たちにもバスケットボールの楽しさを伝えたい、という思いで起業したので、その原点は、会社が大きくなっても忘れずに3人で活動していきたいですね。

画像: ©︎ 88 Basketball 大濠高校を舞台にイベントを開催した。左から篠山、橋本、湊谷

―― また、この秋からは、横浜・東山田駅近くの「B COURT」を引き継いで、「88 COURT」として開業。スクール運営もスタートされました。定常的に子どもたちへバスケができる環境を持てたことは、88 Basketballの活動趣旨にとても合うものですが、いかがでしょうか。

アレク:ちょうどいいタイミングで、いろいろなご縁が重なって、僕らが本当にやりたかったことが一つ実現しました。不思議と、やりたいことにつながる縁が入ってくる会社だなと感じています。いま、やっていて楽しいですね。

―― 逆に、この1年で大変だったことはありますか。

アレク:もう全部大変です(笑)。だからこそ、88 Basketballの運営を支えてくれているスタッフの皆さんにとても感謝しています。篠山と橋本は現役選手ですし、イベントをやるにしても、裏方のサポートがなければ成り立ちません。たぶん、一番大変だったのは、僕らよりスタッフの皆さんです。何をやるのも大変ですし、苦労はありますね。

2026年の展望――スクール事業の充実と復興支援の継続など

――2026年の展望を教えてください。

アレク:88 Basketballで言えば、まずスクール事業です。現在は横浜で1校、福岡ではU15チーム「88BC LION'S DEN」にも携わっていますが、来年は新たなスクールの開校も予定しています。また、能登半島の復興支援のような地域を支える活動は継続していきたいですし、88 Basketballブランドのアパレル展開も充実させていこうと思っています。バスケの普及活動、スクール、アパレル。この3つが今後の展望の柱ですね。

―― SNSを見ると、最近エージェント会社も立ち上げられたようですね。こちらは湊谷さんご自身の新たなチャレンジなのでしょうか。

アレク:そうですね。88 Basketballを運営する株式会社はちはちとは別会社で、僕が代表を務めるエージェント会社があります。ここでは、篠山と橋本は契約選手になります。これも彼らと話していく中で、いまのバスケットボール界に足りない部分で、僕の経験を活かせる仕事だと思ったんです。試合に出られるときや、出られないとき、ケガをしたときなど、いろいろな経験をしてきた。その気持ちも分かるからこそ、選手に寄り添ったサポートができればと思っています。

――まもなくBリーグのドラフトですね。

アレク:そうなんですよ! 契約選手の1人(泉登翔)がドラフトに参加します。初めてなので本人も不安でしょうし、僕も不安はあります(笑)。でも、やるしかないですね。

――最後に、今後この連載でお話を聞いてみたい方はいますか。

アレク:滋賀レイクスでGMを務めている眞庭城聖さんです。大学を卒業されてバスケをしない道を選んで、ストリートや3x3をやっているところからプロに行く。そこからBリーグを経験されてGMになるという、異色のキャリアですし、あの人がGMをやるなんて夢にも思わなかった。いろいろと深く話を聞いてみたいです。個人的にすごく仲がいいです(笑)

――そうなんですね!

アレク:もう兄弟みたいにずっと仲良くさせてもらっています。それと、金丸晃輔のような同世代の現役選手の話を聞いてみたいかな。37 歳になっても第一線でやっているのを考えると尊敬しかないです。バスケ以外で言えば、現役引退して社長業をやっている方のお話も聞いてみたい。バスケ以外では、元浦和レッズで株式会社AuB代表の鈴木啓太さんが起業されているのを知っています。苦労はされていると思うので、その辺は聞いてみたいですね。

【プロフィール】

湊谷安玲久司朱(みなとやあれくしす)
1988年8月31日生まれ、青森県出身。
洛南高校3年次にウィンターカップで優勝、決勝の個人最多得点(40得点)を記録。青山学院大学では橋本とともに3冠を達成。卒業後、三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、茨城ロボッツ、横浜ビー・コルセアーズに所属し2019年に現役を引退。自身のケガの経験からトレーニング、食事、サプリを研究し、ReHopeサプリメントを手がける(株)Alexis を設立。3x3でも日本一を経験している。88 Basketballを運営する株式会社はちはち代表。

文/大橋裕之

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