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パリ・オペラ座の創作『ドリフト・ウッド』のための衣装をデザイン。早くも夢を叶えたアランポール。

  • 2026.1.14

2023年10月のパリ・ファッションウィークでデビューを果たしたブランドのALAINPAUL(アランポール)。日本でもセカンドコレクションの2024-25年秋冬コレクションから販売されている。夫ルイス・フィリップと共にブランドを創設したデザイナーのアラン・ポール(1989年~)は、マルセイユ国立バレエ団の学校に最終学年まで在籍し、ダンスを学んでいたことでも知られている。パリ・オペラ座のエトワール(2025年3月引退)のマチュー・ガニオが学校時代の彼のプティ・ペールで、マチューの妹であるプルミエール・ダンスーズのマリーヌとは小学校の同級生で2年間一緒に授業を受けた仲であり、彼らの母ドミニク・カルフーニは入学当時アランのクラシックバレエの教師だったそうだ。

ALAINPAULのオーナー・デザイナー、アラン・ポール。1989年香港に生まれ、1997年からフランスに暮らす。©ErickFaulkner-Lores

モードとダンスの接近がますます顕著な昨今だが、その中で意味があり、そしてクオリティの高い最高の例はアランポールがクリエイトした2025年12月にパリ・オペラ座で踊られた『Drift Wood』のコスチュームだろう。これはオランダ人姉弟デュオの振付け家イムル&マルヌ・ヴァン・オプスタルがパリ・オペラ座のためにクリエイトした初の作品。創作者の意図を汲んでデザインされた服は、ステージで踊るダンサー各人にビジュアル面での個性を授ける役を果たし、舞台美術や照明とともに作品に奥行きを与えるものだった。4作品で構成されたミックス・プログラム「Contrastes」の最後に踊られたこの作品は、一幕40分とコンテンポラリー作品としては長尺ながら満場の拍手に迎えられたのだ。

衣装デザインの夢を叶えて

「僕がずっと前から夢見ているのは、バレエカンパニーとのコラボレーション。そのように僕のブランドのプレス・エージェントKarla Ottoに以前話したことがあるんです。パリ・オペラ座のAROPも同じエージェントのクライアントであることから、イムル&マルヌが創作する作品の衣装に興味のあるデザイナーを探していることを知ったんです。僕、彼らの仕事については前々から知っていました。僕が今年ANDAMで特別賞を受賞した時には彼らふたりも来ていて、お祝いのことばをかけてくれた彼らから、"耳にしてるかもしれないけど、僕たちデザイナーを探してるんだよ"と言われて......」

『Drift Wood』に配役されたダンサーたち。前列左から、バティスト・ベニエール、タケル・コスト、ルー・マルコー=ドゥルアール、ミカエル・ラフォン。後列左からキャロリーヌ・オスモン、エリック・ピント=カタ、イダ・ヴィイキンコスキー、マリオン・ゴティエ・ドゥ・シャルナッセ、イヴォン・ドゥモル、セーホー・ユン、アデル・ベレム、ジェニファー・ヴィゾッキ、クレモンス・グロ。©Benoîte Fanton/ OnP

公演の初日は12月1日。これは7月のことで、こうしてアランが衣装デザインをすることが決まり、パリ・オペラ座から告げられたのは10月からコスチュームのクリエイションが始まるというプランニングだった。シーズン中、オペラ・ガルニエとオペラ・バスティーユではバレエとオペラの公演が間を空けずに続く。それらのコスチュームの準備をする衣装部門のスケジュールはとても厳格なものである。オペラ座が4月2日に発表した2025-26のプログラムではミックスプロ「Contrastes」で踊られるイムル&マルヌの創作は『Drift Wood』というタイトルであることは発表されていたが、この時点でコスチューム担当者の名前は白紙だった。衣装についてイムル&マルヌから、どのようなブリーフィングがアランにあったのだろうか。

「作品について、ふたりから次のように説明されました。タイトルにあるようにアイデアはDrift Wood(流木)である、と。この流木とは人間のメタファー。教育や社会によって人それぞれが生まれ持ったキャラクターは、川や海などを流れる木が水によってすべすべになってしまうように均一化されてしまう。人間の持つ動物的面が失われてしまっている......。彼らが描きたいのはひとつのコミュニティ、ひとつの部族で、でも各人異なる個性、人格があること。最終的には13名となったけど、最初の予定はダンサー20名。それで20シルエットを用意。それらは社会的なリアルな装いと自然に結びつく装いのミックスでした」

こうした動きにも対応できるようなコスチュームをアランはデザイン。©Benoîte Fanton/ OnP

前半は3方をコンクリートに囲まれた中でダンサーたちは踊る。©Benoîte Fanton/ OnP

4作品で構成されたミックスプロ「Contrastes」。ほかの3作品は配役が複数あったけれど、『Drift Wood』は1キャストだけ。創作ダンサーに選ばれたのはパリ・オペラ座バレエ団の中でもコンテンポラリー作品に優れ、来日公演『Play』にも参加していたキャロリーヌ・オスモン、マリオン・ゴティエ=ドゥ・シャルナッセ、イダ・ヴィイキンコスキー、ルー・マルコー=ドゥルアール、ミカエル・ラフォン、イヴォン・ドゥモルなどだ。

舞台装置の始まりはコンクリート。途中森の光景と半々となり、最後は灰色のコンクリートが消えて自然の風景となる。

「これがボルドー、茶色、紺色といった色調でちょっとオランダの絵画の様なんです。コスチュームの色はこれらタブローの色からとりました。自然のロマンティックな面をキープしたかったのでちょっとしたフリルのワンピースがあり、素材的には自然と人間社会のコントラストを感じさせるように、と。中にはブランドの過去のコレクションに手を加えたものもあるけれど、ドレスなど多くは新たなデザインです」

レースやフリルなどロマンティックな要素もコスチュームに取り入れられている。左から、クレマンス・グロ、キャロリーヌ・オスモン、アデル・ベレム。©Benoîte Fanton/ OnP

通常アランは3Dでコレクションを準備するが、オペラ座にはクロッキーを見せるのが決まりとなっている。彼が準備したクロッキーは全て受け入れられた。動きにくいコスチュームがどれほどダンスの妨げになるのかを体験している彼ゆえに、動きやすさは平面のクロッキーの時点から当然のことながら計算済みだ。

「ワンピースやスカートには深いスリットを入れてあり、男性ダンサーのスーツのパンツはハイウエストにしてありました。ステージ上で時にパンタロンが裂けることもあるので、こうしたことを先回りしてエラスタンのような弾性のあるしなやかな素材を選んで......」

この仕事で彼はパリ・オペラ座のクチュール部門の仕事を発見することになった。まるでオートクチュール・メゾン並みに部署に分かれ、大勢が作業するアトリエがまずは彼を魅了。自分たちとの服作りの違いも興味深ければ、動きやすさを服にもたらすためのちょっとしたディテールも。たとえばシャツの袖の脇の下は開いていて、それをゴムがジョイントするという、観客からは見えないディテールなどだ。"すごくチャーミングで美しい。僕のコレクションに採用したい"と発見を喜ぶアランだ。

都会的なコスチュームで踊るのはミカエル・ラフォン。©Benoîte Fanton/ OnP

クレマンス・グロとジャケットを脱いだミカエル・ラフォン。クレマンスのスカートはダンス用にゴムで腿に留めるといった工夫がなされている。©Benoîte Fanton/ OnP

12月1日から31日まで『Drift Wood』は25公演の予定だったが、12月20日の公演はストのためキャンセルとなったので24回踊られた。13人の配役中、タケル・コストが怪我で降板。代わりのダンサーを選ばず、振付けがアレンジされて毎回12名が渾身の舞台を作り上げたのだ。ステージで踊るダンサーたちの衣装は、12名それぞれのダンスにふさわしく、各人の個性が見えてくるようだった。アランのデザインはどのように各ダンサーに選ばれたのだろうか。

「僕がオペラ座とコスチュームの仕事を始めたのと同じ頃に、イムルたちはリハーサルを始めたように記憶しています。1週間ぐらいふたりがダンサーたちと仕事をした後、彼らは各ダンサーのパーソナリティについてフィーリングが得られていたのでしょう。その間、僕は一度稽古を見ただけだったけれど......。それでイムルたちと一緒に誰にどのコスチュームかを割り当てました。身体に適したもの、動きに合わせて、どういったパートを踊るのか、というように考えて。もともと20名分のデザインがあったので、予備からも選びました」

背景の色に合わせた色彩のコスチューム。踊るダンサーたちにも好評だった。©Benoîte Fanton/ OnP

これはアランにとって、バレエカンパニーのための初めてのコスチュームデザインの仕事だが、衣装作りはマルセイユ国立高等ダンス学校時代にすでに試したことがある。1998年に入った学校でまずクラシックダンスを学び、そして12歳の時からコンテンポラリーダンスのレッスンもスタート。創設者ローラン・プティを後継し、バレエ団総裁兼校長となったマリ=クロード・ピエトラガラはコンテンポラリーに力を入れていたそうだ。

「コンテンポラリーダンスを僕はとても気に入っていました。14~15歳の頃、僕は本当にダンサーになりたいのだろうか。あるいはコレオグラファーになりたいのかと考えたんです。振り付けに興味があったので、時間がある時に友だちとクリエイションを始め......。学校ではインプロヴィゼーションのクラスもありました。創作にあたっては生徒たちの中で、僕だけが"ああ、この振り付けには揺れ動くドレスのコスチュームとかが素晴らしいだろうな"などと衣装について考えていたんですね。エマウスで古着を買って、それに手を加えてデザインし直してと創作のための衣装作りを初体験して......この作業がすごく気に入って、徐々に服に対する関心が増していったんです」

イムル&マルヌ・ヴォン・オプスタルはルー・マルコー=ドゥルアール(左)とイダ・ヴィイキンコスキーなどパリ・オペラ座のコンテンポラリー作品に欠かせぬダンサーを選び、カンパニーのための初のクリエイションに挑んだ。©Benoîte Fanton/ OnP

この『Drift Wood』でコスチュームデザインの夢を叶えた彼。公演初日に至るまで、このプロジェクトのどの部分に彼はとりわけ情熱を掻き立てられたのだろうか。

「ふたつあります。コレオグラファーとのコラボレーションは初めてで、コスチュームのアイデアがどんな方向なのかが最初わからず。クチュール的なのか、クラシックなのか、あるいはイリ・キリアンの作品に見られるような巨大なスカートのようなのか......と。ふたりが望んでいることがわからないので、僕は彼らの頭の中に入ってみることにしました。これがすごくおもしろかったんですね。なぜ彼らは僕をコスチュームデザインに選んだのか? 考えてみました。彼らが望んでいるものを探る。それは僕がデフィレで発表している服が欲しいのだ、ということでした。彼らはコレオグラファーであって、デザイナーではありません。彼らは感受性を僕とは別の方法で表現します。それを読み取ろうと努めました。2つ目にエキサイティングだったのは、ダンサーとのフィッティングでした。コスチュームが出来上がるまでの6~7週間の間、僕はオペラ座に毎週3回通ったんです。最初のフィッティングはストックマン(マネキン)で。でも、割と早い時期にダンサーの身体にトワルで始めたんですね。彼らのエネルギーに圧倒され、またクリエイションの進行はどんな状態かなど言葉を交わして......とりわけ彼らが服の中でどう動くかを見ることができて、フィッティングの時間を堪能しました。襟や肩など多くの服で手直ししました」

自然の風景が背景に。照明のTom Visserが振付家とともに舞台美術も担当した。©Benoîte Fanton/ OnP

「コスチュームを舞台で初めて見たのはランスルーではなく、その前の段階で。ステージ上に舞台装置、照明、衣装を配置してみるというもので、音楽もなかったんじゃないかな。ビジュアル的に問題がないかどうかをチェックするためだったので僕は座って見ていて......ちょっと自分のブランドのショーのリハーサルに似ていますね。チェックするのに精一杯で、この時はまだ感動とかそういうレベルではなかった。作っている過程では気付かなかったのだけど、こうして見ると紺色が多いことがわかったので、3体はそのままにし、2体においてパンタロンをグレーにしたり、ボルドーを加えたりしてバランスをとりました。感動を覚えたのは、初めて作品のランスルーを見終えた時です。それまでリハーサルスタジオで部分的に5分くらい見るという程度だったので、この時に初めて作品を通しで見ることができて......。作品を構成するすべての要素に一貫性があった。この時に女性ダンサーひとりのワンピースが白すぎるということになり、ベージュに染め直すことに。でも、オペラ座の仕事はスピーディーで翌日にはベージュのドレスになっていました。本当に感動的でした。僕は別の方法で、こうして舞台に戻ることができたのです」

『Drift Wood』の最後は、イムル&マルヌの希望でコスチュームはヌード。©Benoîte Fanton/ OnP

17歳、ダンスではなくモードを選んだ。

舞台に戻る。先にも語られているように、彼は幼少期から学校でダンスと向き合う日々を過ごしていて、ステージは日常の存在だった。17歳になり、ダンスカンパニーのオーディションを受けてプロのダンサーとなるかどうしようかと考えた結果、モード学校に通うことを選んだのだそうだ。

「モードの道を選んだ当初は、ダンスの世界と距離を置きたいと思いました。なぜって、別のものを発見したいと心から思ったからです。思春期にはジャン=ポール・ゴルチエの仕事に興奮を覚え、パリに来てマルタン・マルジェラを知ってモードの世界に情熱をますます掻き立てられました。でもダンスは僕の意識下に常に存在するものです。18歳でモード学校に入った時に感じたのは、リセの卒業後ここに来て人生を発見するというほかの生徒に対して、僕はその前にすでにひとつの人生があったということ。ダンスやステージによって、普通の18歳が持っていない規律正しさや厳格さが僕には備わっていました。いま自分の仕事を思う時、僕の服へのアプローチはそれらに養成されたように思います」

モード学校を卒業した彼はデムナが設立したばかりのヴェトモンに2014年から参加。そして2018年から2022年はルイ・ヴィトンにおいてヴァージル・アブローの下でメンズコレクションの仕事をした。そして2023年に自己のブランドを設立したのだが、いかにアランポールというブランドをクリエイトするかを考えた時に、センシビリティやエモーションを語るダンスの世界に戻りたいと思ったという。彼が培ったサヴォワールフェールを生かした、ほかの若いブランドには見られない、小さなメゾン・デュ・リュクス。そんなブランドが誕生した。

「スーツにせよニットにせよ、どのカテゴリーにおいても深く研究がなされています。僕のブランドにはクオリティがあり、レベルの高い服作りをしているので、最初のコレクションから素晴らしいブティックが買い付けをしています。信じられないほどの正確さがあるのは、僕に刻み込まれた規律正しさを重んじるダンスから来ているのでしょう」

2025年10月に発表された2026年春夏コレクション『Audition』より。なおアランポールは第12回LVMHプライズ2025のファイナリストに選ばれている。

2023年10月に開催したブランドのファーストコレクションを彼はシャトレ劇場で発表した。それは彼がダンスではなく、"別の方法で舞台に戻る"というアイデアからだった。人々をダンスの世界に招き入れたいという考えからで、理想は劇場の舞台裏でショーを行うことだった。あいにくとスペースが狭すぎたため実現できなかったそうだ。いつか彼のブランドがパリ・オペラ座でショーを行うことも期待していいのかもしれない。

さてブランド創立2年目にして、イルム&マルヌ・ヴァン・オプスタルの『Drift Wood』で衣装デザインの夢を叶えた彼は、今後どんな振付家とコラボレーションをしたいと願っているのだろうか。

「あらゆるコレオグラファーに対してオープンでありたいので、特定の名前を挙げたくありません。それにもしここで名を挙げた振付家との仕事が実現しなかったら、残念ですから。イリ・キリアンやクリスタル・パイト、ホフェッシュ・シェクターといった素晴らしい人たちも、イムル&マルヌたちのように若い人たちも僕は好きなんです。デザイナーとして、各振付師の世界を解釈してゆきたい。それを続けていけたらと願ってるのです」

最後に彼がとりわけ衣装を気に入ったバレエ作品を教えてもらった。答えはマーサ・カニンガムの『Scenario』(1997年)、イリ・キリアンの『Bella Figura』(1995年)、ピナ・バウシュの『春の祭典』の3作品だという。その理由を知ることで、今後彼が衣装デザインにおいて目指すものが見えてくるかもしれない。

『Scenario(シナリオ)』「この衣装はコム デ ギャルソンの川久保玲によるもので、その過激さが記憶に深く残っています。意図的に歪めたフォルム、思いもかけないボリューム、グラフィックなモチーフ。それらはステージ上の身体と服の既存の規範について、問いかけをするものです。衣装が振り付けの真の1エレメントとなっています」

『Bella Figura(ベラ・フィギュラ)』「大きな赤いスカートの視覚的なパワーにとりわけ心を打たれました。その動きと素材は作品の官能性と感情の激しさを際立たせています。衣装は照明とダンサーの身体と緊密に対話をし、バレエの劇場的かつ詩的な雰囲気に溶け込んでいました」

『Sacre de Printemps(春の祭典)』「この作品の衣装が持つシンプルさと表現力の強さに、強く心が捉えられました。肌色やアースカラーの軽いドレスが徐々に土埃に覆われてゆくにつれ、有機的で原始的そして儀式的な面が強調されてゆきます。振り付けが持つ暴力と激しさと完璧に共鳴し、衣装は身体を拡伸し、ダンスをまるで内臓的なものへと昇華しています」

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