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ブリジット・バルドーと人生をともにした男性たち。

  • 2026.1.6

アラン・ベルリネールとエローラ・テブネによるドキュメンタリー映画『バルドー(Bardot)』は、彼女の人生のさまざまな章を振り返る。その中には、映画や音楽の世界でフランス文化に影響を与えた恋愛も含まれている。今回は、12月28日に91歳で亡くなったブリジット・バルドーと人生を共にした人々を振り返る。

フランソワーズ・サガンは、彼女についてこう語ったとされている。「彼女は、行き場を失った男たちや迷い犬が、そっと肩に頭を預けたくなるような女性。」そして実際、そのどちらも数多く存在した。アラン・ベルリネールとエローラ・テブネが手がけたドキュメンタリー映画『バルドー』(2025年12月3日フランスで劇場公開)の主人公、ブリジット・バルドーは、まさに時代を象徴する存在だった。強烈な魅力を放つ女優であり、心を惑わせる歌声を持つ歌手、そして世界中の欲望をかき立てる存在でもあった。1960年代以降、彼女は愛と欲望に自由であり続け、時代のあらゆる制約に抗いながら、生きている実感をもたらす恋愛の数々に身を投じていった。「私はそれだけで生きてきたの」と、彼女は2020年9月に雑誌「ヴォーグ オム」に語っている。「本当はやるべきだったのに、結局やらずに終わったことがたくさんあるわ。愛している男性のもとを離れたくなかったから。男性に去られて、何度も死にたいと思ったこともある。それは、ある意味で私の酸素だった。私は、恋愛という高電圧のもとで生きる必要があるの。」4度の結婚を経験し、息子ニコラの母でもあるブリジット・バルドーは、1963年に発表した楽曲「シドニー」で自身が歌った人物像さながらに、「複数の愛人」がいた。「それを責められようと、称賛されようと彼女はどちらも気にしない。」激しく、全力で駆け抜けた恋愛人生。その幕は、12月28日に下ろされた。91歳だった。

ロジェ・ヴァディム

ブリジット・バルドーは1952年12月21日、当時18歳で映画監督ロジェ・ヴァディムと結婚。ふたりの関係は1956年に終わりを迎えた。(1956年1月)photography: Getty Images

ふたりが出会った当時、彼女は15歳、彼は21歳で、ふたりを引き合わせた映画監督マルク・アレグレの助手を務めていた。両親は、未成年の娘と年上の男性との関係を快く思わず、そのことがきっかけとなって彼女は自殺未遂に及ぶ。18歳の誕生日から2か月後、ブリジット・バルドーはロジェ・ヴァディムと結婚する。1956年、ふたりは映画『素直な悪女(Et Dieu... créa la femme)』をともに製作し、彼女はその中で、自由奔放で、人を惑わせ、欲望とセクシュアリティを隠すことなく生きる若い女性ジュリエットを演じた。この作品は大ヒットとなり、彼女を一躍、世界的スターへと押し上げる。それ以来、彼女はイニシャルのB.B.で知られるようになった。

ジャン=ルイ・トランティニャン

ジャン=ルイ・トランティニャンは、映画『素直な悪女』での共演相手だった。ふたりの相性はスクリーンの外にまであふれ出し、ジャン=ルイ・トランティニャンとブリジット・バルドーは恋愛関係に発展する。その結果、若き日の彼女とロジェ・ヴァディムとの結婚、そしてトランティニャンと女優ステファーヌ・オードランとの結婚は、いずれも終わりを迎えた。この恋愛関係は1年間続いた。2020年、ブリジット・バルドーは「ヴォーグ オム」に「彼のことが好きだった」と語っている。

ジルベール・ベコー

ブリジット・バルドーは、俳優ジャン=ルイ・トランティニャンと交際中だった1958年、ミュージシャンのジルベール・ベコーと短期間恋愛関係にあった。(1958年3月、パリ)photography: Getty Images

ブリジット・バルドーは、次の恋へと移っていく。1957年12月、当時30歳だったジルベール・ベコーと出会ったのは、大晦日にテレビ放送される予定だったバラエティ番組「Parade de fin d'année(パレード・ド・フィン・ダネ)」の収録現場だった。その映像はINA(フランス国立視聴覚研究所)のウェブサイトで確認することができる。当初、バルドーは1曲だけで端役として出演する予定だったが、最終的には番組を通してベコーと共演することになる。その後、ふたりは短い恋愛関係に発展した。

サシャ・ディステル

ブリジット・バルドーは、ジャズ・ギタリストのサシャ・ディステルとも親密な関係にあった。(1958年9月)photography: Getty Images

フランスの人気男性歌手のサシャ・ディステルは、スキー選手である妻フランシーヌ・ブレオーと出会う以前の1958年、ブリジット・バルドーと短い恋愛関係を持っていた。1972年には、名曲として語り継がれるデュエット曲「Tu es le soleil de ma vie(君は僕の人生の太陽)」で再び共演している。

ジャック・シャリエ

1959年6月18日、ブリジット・バルドーは俳優ジャック・シャリエと結婚。ふたりの間には、彼女にとって唯一の息子となるニコラ=ジャックが誕生したが、1963年に離婚している。(1960年1月)photography: Getty Images

1958年、若手俳優のジャック・シャリエは、ローラン・テルジエフやジャン=ポール・ベルモンドと共演した映画『危険な曲り角(Les Tricheurs)』のヒットによって、一躍スターとなる。翌年、ブリジット・バルドーは、自身が出演を控えていた映画『バベット戦争へ行く(Babette s'en va-t-en guerre)』に彼を起用した。メディアの注目を一身に集める若きスター同士として、ふたりの結婚式は同年6月18日、スポットライトを浴びる中で執り行われた。その視線は、1960年1月11日に誕生した息子ニコラ=ジャックにも向けられることになる。こうした過剰な注目は、バルドーが抱えていた産後の抑うつをさらに悪化させた。「1960年、ニコラが生まれたとき、私を取り巻く熱狂はすさまじいものだった」と、彼女は2020年に「ポアン・ド・ヴュ」誌の中で振り返っている。「狂気そのものだった。自宅に設えられた分娩室、窓の外にはカメラマンたちが張り付き、医師に変装して忍び込もうとする者までいた。そこには一切のプライバシーがなかった。本当に恐ろしかった。私は息子の誕生を、そのトラウマと結びつけてしまった。そして、その影響を背負うことになったのはニコラだった。」

ブリジット・バルドーとジャック・シャリエは1963年に離婚した。息子の親権を得たのはシャリエで、彼がニコラを育てた。現在、ふたりの娘の父でもあるニコラ=ジャックはノルウェーで暮らしている。母親との関係は希薄で、1996年には、胎内でのプライバシー侵害を理由にバルドーを提訴している。この訴訟にはシャリエも加わった。問題となったのは、グラッセ社から出版された女優の自伝『イニシャルはBB』で、彼女は妊娠について「それは、私から栄養を吸い取って成長する腫瘍のようなもので、腫れ上がった私の肉体の中に宿り、いつか祝福された瞬間に、ようやく取り除かれるのを待っている存在だった」と綴っていた。さらに、「子犬を産むほうがよかった」とも書いている。

サミー・フレー

ブリジット・バルドーと俳優サミー・フレー。映画『真実』の撮影現場で初めて出会い、1960年から1963年までカップルとして過ごした。(1960年3月、ジョアンヴィル=ル=ポン)photography: Getty Images

ブリジット・バルドーとジャック・シャリエは1963年、正式に結婚生活に終止符を打った。その間、彼女はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の映画『真実(La Vérité)』の撮影現場で出会った俳優サミー・フレーと恋愛関係にあった。2022年1月に「Gala」誌のインタビューで、彼女はこう語っている。「ジャン=ルイとサミーは、私の人生で最も大きな愛だったと思う。最も重要で、最も深く、そして何ものにも代えがたい存在だった。」ふたりは1963年、ジャン=リュック・ゴダール監督の映画『軽蔑』の撮影中に別れている。ブリジット・バルドーは後に「ヴォーグ・オム」誌でゴダールについてこう語っている。「とにかくイライラさせられる人だった。あの帽子姿も、正直ばかみたいに見えた。」

ギュンター・ザックス

ブリジット・バルドーは1966年、ラスベガスで実業家ギュンター・ザックスと結婚。しかし関係は長続きせず、1969年に離婚している。(1967年11月28日、ロンドン)photography: Getty Images

ブリジット・バルドーが、オペル自動車の財産を相続したドイツ人写真家ギュンター・ザックスと1966年7月に出会った。ふたりはサントロペを象徴する国際的セレブとして知られ、彼女の心を射止めるため、ザックスがヘリコプターから1万本のバラを降らせたという逸話も残っている。プレイボーイとして名を馳せたザックスと女優バルドーは、その勢いのままラスベガスで結婚。しかし求める生き方は同じではなかった。彼は華やかな社交生活を謳歌し、彼女は静かな暮らしを望んでいたのだ。旅を続ける彼と撮影に追われる彼女は次第にすれ違い、1969年に離婚する。その間に、バルドーはある著名なフランス人歌手と出会っている。

セルジュ・ゲンズブール

ギュンター・ザックスとの関係が悪化する中、ブリジット・バルドーはセルジュ・ゲンズブールと出会い、「ハーレー・ダビッドソン」を歌った。女優のバルドーは彼のミューズとなった。(1967年1月)photography: Getty Images

セルジュ・ゲンズブールとのコラボレーションからは、フランス・シャンソンの名曲と呼ばれる数々の作品が生まれた。それらの楽曲は、ふたりの恋愛の歩みをなぞるように書かれている。1967年、セルジュ・ゲンズブールはブリジット・バルドーに電話をかけ、「ハーレー・ダヴィッドソン」を歌わないかと持ちかけた。ふたりは15年前、ある映画の撮影現場で出会っていたが、彼女が本当に彼に心を奪われたのはこの日だった。キーボードの向こうで、気後れした様子のまま彼女を見つめる音楽家の姿に惹かれたのだ。「彼が私に向けていたまなざしに惹かれた」と、バルドーは2021年に「パリ・マッチ」誌で語っている。「あんな視線は、ほかのどんな男性からも感じたことがなかった。セルジュは内向的な人だった。距離感や長い沈黙を抱えた、二面性のある性格で、そのすべてが並外れた人間的な温かさに包まれていた。そしてもちろん、そこには彼の才能が共通項としてあった。私は、私たちの恋愛が、彼の容姿に対するコンプレックスを和らげたのだと思っている。」

ある夜、彼女は彼に「この世でいちばん美しいラブソングを書いてほしい」と頼んだ。それが「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(Je t'aime... moi non plus)」。ふたりはすぐに一緒に録音するが、当時バルドーの夫だったギュンター・サックスの意向により、この楽曲は放送禁止となる。タイトルはその2年後、1969年にセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンのデュオによって世に残ることになる。音楽家と女優の別れは、バルドーがショーン・コネリーと共演した映画『シャラコ(Shalako)』の撮影で滞在していたスペインのアルメリアで訪れた。この街の名は、1968年に発表された『イニシャルB.B.』の中でも語られている。同作は、彼女に捧げられた真の音楽記念碑とも言える作品だ。「すべては一文で言い表せる」と、彼女は後に「パリ・マッチ」誌で語っている。「影も曇りもないまま、3か月続いた出会いだった。ほぼ100日間の狂おしいほどの愛。それは美しく、純粋だった。ただ『幸せ』と呼ぶべきものだった。」

ベルナール・ドルマル

ブリジット・バルドーは1992年7月16日に結婚し、約30年間ベルナール・ドルマルと人生を共にした。(メドック、1994年5月1日)photography: Getty Images

ブリジット・バルドーは、1973年に映画界に別れを告げ、動物保護活動に身を捧げることを決めて以来、表舞台から離れた静かな生活を送り、その暮らしぶりに合わせるように、恋愛も人目を避けてひっそりと重ねてきた。1992年、58歳のときにサン=トロペで、ベルナール・ドルマルというフランスの実業家と出会った。出会いの場はジャン=マリー・ル・ペンの2番目の妻ジャニー・ル・ペンが主催したディナーで、彼はル・ペン夫妻の友人であり顧問のひとりだった。彼女は自伝『イニシャル B.B.』の中で、この出会いを「お互いに一目惚れだった。彼は私の一生の夫になる」と回想している。それ以来、ベルナール・ドルマルは、マドラグ(バルドーのサントロペにある別荘)で彼女と生活を共にした。2017年には、「TVマガジン」の取材で「これまでの恋人の中で、誰を選ぶか」と聞かれた際、「最後の人、ベルナールよ!」と答えた。

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