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「妻は真逆の性格。でも、お互い“わかってもらおう”とはしない」大人気作家が考える、夫婦関係において大切なこと

  • 2025.12.14

中学生と大学生のお子さんを育てる、大人気作家・ヨシタケシンスケさん。真逆の性格である奥さんとは、“わかりあう”のを目的とはせずに、話し合いをするという。ヨシタケさんが考える、夫婦として上手くやっていくために大事なこととは?※インタビュー内容は2024年9月6日時点のものになります。

真逆のタイプの妻だからこそ、自分らしくいられる

――ヨシタケさんは、パートナーとどんな関係を築いているのでしょう。妻は僕と真逆のタイプで。たとえば、はっきりした理由はないけど生きるのがしんどい、ということが、あんまりピンとこないみたいなんですよ。はっきりとモノを言うのはすがすがしいけど、ザクっと心をえぐられることも、もちろんある。でも、わかりあえなさがはっきりしているからこそ、そのままの自分でいられるところもあるんですよね。彼女も深入りしてこないから、僕も自分のしんどさを隠していられる。心療内科に行くと告げたときも「そんなにつらいなんて全然知らなかった」って言っていました。でもそれが、僕は嬉しかった。――気づいてほしい、ではなくて。必要以上に心配されることも、逆にストレスなので(笑)。心の治療をするときに、パートナーが理解してくれることはとても大事なことだけど、じゃあ、どうしても想像が及ばない人が相手だったときは全部だめになるのかといえば、そんなこともないはずだと僕は思っているんです。彼女に、もっと勉強してほしいとか、やったほうがいいことや言わないほうがいいことをもっとよく考えてほしいとか、あんまり思わないですし。むしろ、そういうことに興味のない彼女のような人にとって、僕自身がどういう人であり続けるかを考えるのも、一つの手かなって。――その視点は、考えたことがなかったです……! そうか、相手にとって、どういう人間でありたいか、か……。そもそも僕自身、妻に対してどこまで理解が及んでいるのか、わからないですしね。相手を責めるのは簡単だけど、そのことが事態を何も好転させないことは容易に想像できるし、誰も得することがない。だったら自分が我慢すればいいんだ、ということではなく、自分を守るためのストーリーをつくるために、相手のわからなさをどこまで許せるだろうかと考える。まわりくどいけど、それも一つの有効な手段かなと思います。人によるとは思いますが、わからんものはわからん、って言ってもらえたほうが僕はラクなんですよ。――vol.2でおっしゃっていた「そりゃそうだよね」に繋がりますね。そうですね。特にパートナーシップは個々のケースによるから、一概には言えないんだけれど……人にはそれぞれ想像できる領域があって、その中でどうにかやっていくしかないんじゃないでしょうか。まあ、責めるつもりはないといっても、責めたくなる気持ちが沸き上がることはありますけどね(笑)。――それはあるんですね、ちょっとほっとしました(笑)。どうしてもイラっとすることは、人間だからありますよ。でも、その「イラッ」が役に立たないことはわかっているから切り替える。どうしても誰かに分かってほしいときには、それこそ専門家の手を借りたり、似た境遇の人と話をしたりするほうがいいんじゃないでしょうか。でもそれだって、何もかも共有できるわけじゃない。しんどさにもレベルがあるし、わからなさにもレベルがある。それぞれのレベルで、捻出できる余裕のなかで、解決策を考えていきたいなと思っています。「この世」がいやなら「あの世」しかない、わけじゃないのと同じように、当事者が追い詰められているほど、解決策の種類は少なくないはずだから。――そのために、話し合いはあるべきなのかもしれませんね。わかりあうのを目的とするのではなく。そうですね。薬を飲めば病が治るわけじゃないというのと同じように、話し合いさえすれば幸せな日々が戻ってくるわけじゃなくて、むしろその話し合いにどれほど意味がないかを思い知ることも、夫婦としてやっていくには大事なんじゃないかと思います。その中で「このレベルまではわかってくれていたんだな」と確認できることもあるだろうし、逆に「これはもうどうしたってわからないんだな」と納得することもあるでしょう。「むしろこんなにわかりあえなくて、よくこれまで一つ屋根の下でやってきたよね」とお互いを褒めたたえることもできるかもしれない。やっぱり、過度な期待をしないというのは、大事である気がします。

子どもの受験への考えが合わず、衝突も

――でも、子育ての場合は、それでは済まないこともあると思います。大人同士の自立した関係なら割り切れても、子どものため、という意見が食い違ったときはどうしたらいいんでしょう。まさにうちも受験に対しては、スタンスが違って。僕は「ご縁があれば行けるし、合否の結果とあなたの幸せは関係ないんだからね」と思うんだけど、妻は「最初から失敗してもいいなんて気持ちじゃ、受かるものも受からんだろう!」と。それも一理あるんですけど、同調して「そうだ、弱気になるな!」とは言えないし、僕自身、逃げ続けてきた人間だから「逃げていいんだよ」というしかない。――でも、どっちの意見も聞けるのは、子どもにとっていいことのような気がします。結局どっちなんだよ!って子どもは困っちゃうかもしれないけど、でも、受験に限らず、ヨシタケ家には常に両極端の意見があります、ということを見続けるのは、結果的にいいことなんじゃないかなと僕も思います。「あなたはどっちだと思う?」と聞くことができるし、「今日はどっち派?」みたいな気軽さも得られる。戦わせようとする母と、逃がそうとする父。価値観がバラバラであることがいちばんの教育になってほしいなとは思っていますね。ただまあ、受験の真っ只中で、どっち派か迷わせるという余計なタスクを負わせる申し訳なさはありましたけど。嘘をついてでも、負けるな、頑張れって一緒に闘う姿勢を見せた方がよかったのかなあ、と。――怒られたりはしないんですか。しょっちゅう怒られましたよ。何か言うたびに言い争いになるのが日常と化していましたけど、妻の言うことも、もっともなのはわかっているんですよね。というか、受験に挑む限りは彼女のほうが正しいんです。だから基本的には僕がすぐに折れていました。僕はどうしても嘘がつけないとか、絵本作家のスタンスとしてとか、そんなことは受験を前にしたらどうでもいいことで、今話すことじゃないだろうっていうのは百も承知。それをぶつけあわせ続けたら、お互い壊れるまでボロボロになるのがわかっていたので。どうしても僕が我慢できなくてボロボロになる寸前、ってことも、半年に1~2回はあるんですけどね。――ヨシタケさんがそんなに強硬な態度に出るの、想像できないです。僕をここまで怒らせる人は彼女しかいない、と思うと、やっぱり家族だなあと実感します。彼女ほど僕にずけずけと踏み込んでくる人はいないし、僕も彼女にしか見せない顔がある。その関係は、とても貴重なんだとも思うから、冷静になって、自分が間違っていたところをふりかえって、謝るべきところは丁寧に謝罪するようにしています。そうして、以後お互いに気をつけましょうね、とやっていくしかできないですよね。結局、ケンカっていうのは、言葉が足りないの一言に尽きたりもするので、その一言を補う努力は忘れないようにするというか。――いつもおっしゃっている「争いの原因はたいてい、言い方にある」ってことですよね。物は言いよう。そうそう。お互いに余裕がないときはしょうがないけど、一呼吸おけば、言いたかった真意はこういうことなんだ、でも間違えてこういう言い方をしてしまったな、とわかるし、誤解させてしまったのは悪かったと思うことができる。ただ、あなたの言い方もこういう受け取り方をしてしまいますよ、ということを伝えられれば、多少なりともすりあわせができる。そして、すりあわせしようと思えるのは、やっぱり、彼女の「わからない」部分に、尊敬するところがいくつもあるからですよね。たとえば、一番すごいなと思うのは、どれだけ裏切られても彼女は、もう一度、何度でも、同じ人を信じることができるんですよ。――それはすごい。すごいですよね。僕には、絶対できない。一度だめだと思った相手とは、二度と関係が修復できない。それが、僕の一番の欠陥だと思っているので、許すどころか再び信じることのできる彼女には、尊敬しか生まれない。だから、折れることができるんです。

無理して「わかりあう」必要もない

――家族って、同じ方向を見ていたほうがいい、と思いがちだけど、そうじゃないからできることもたくさんあるんだな、と思えますね。同じ方向を見るというスローガンは、人間が入れ替わっても存続する会社ならばまだ有効かもしれないけれど、家族では危険だし、無理だろうと僕は思います。それに、家族のいいところって、望まなくなったら関係を解消できることにあると思うんですよ。子どもはいずれ巣立つし、夫婦は、別れることだってできる。でもだからこそ、何もつながりがなくたって、一緒にいたいという気持ちだけで、家族であり続けることはできると思うんですよね。――その視点も、なかったです。なるほど。かつてはリスクを分散させるため、お互いに助け合うための最小単位として家族が機能していたけれど、無理をしてまで一緒にいる必要はないという社会になったのだから、やっぱり無理して「わかりあう」必要もないと思うんですよ。お互いバラバラで、全然ちがうよねってことをわかったうえで、いかにバランスをとっていくか。どうにかならないものがたくさんあることを前提としたうえで、お互いのどこを許していけるかを考えていくのがいいんじゃないかなと。子どもには、理解してもらえるのは、死んだあとかもしれませんけどね(笑)。――まあ、そういうもんですよね(笑)。でも、さすが父ちゃんって一生言われるような存在になんて、なれるわけねえだろというのも正直なところで。子どもに嫌われることもまた親の役目かなと思いますし、そのなかで自分にできること……たとえば「大人だからって逃げちゃいけないなんてことはないんだな」とか、伝えられることを伝えていくしかないかなと思います。取材・文/立花もも

【PROFILE】ヨシタケシンスケ

絵本作家、イラストレーター1973年 神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常の一コマを切り取ったスケッチ集や、装画、挿絵など、幅広く活動している。MOE絵本屋さん大賞、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞、ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞など、受賞多数。最新著書に『お悩み相談 そんなこともアラーナ』(白泉社)。

『しばらくあかちゃんになりますので』

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ヨシタケシンスケが描く、これがホントの「あかちゃんえほん」!?「みーちゃんのママは、あかちゃんばかりお世話しています。「おねえちゃんなんてつまんない」と思ったみーちゃんは、おしゃぶりをくわえて、ゆかにゴローン……あかちゃんになってみました。今度は、たくさんの家事をこなして、へとへとにつかれたママが「しばらくあかちゃんになるわ!」と言って……? さあ。あなたも、あかちゃんに!

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