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20年前、J-POPの常識を覆した“浮遊感” 未来の音楽を鳴らしたワケ

  • 2025.12.6
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2004年、映画『CASSHERN』プレミア試写会に訪れた宇多田ヒカル(C)SANKEI

「20年前の冬、あの“光の粒”みたいな曲を初めて聴いた時の感覚、覚えてる?」

街のイルミネーションが少しずつ色を増していった2005年12月。冷たい空気の中で、どこからともなく漂ってきた“異国の香り”のような音。その瞬間、現実世界と夢の境目がふっと曖昧になった。あの冬には、確かにそんな“揺らぎ”があった。

宇多田ヒカル『Passion』(作詞・作曲:宇多田ヒカル)――2005年12月14日発売

その音を初めて耳にした瞬間、「これはただのJ-POPじゃない」と直感した人は多かったはずだ。言葉の意味よりも前に、感情よりも先に、肌に触れる質感で届く音楽。20年前の冬に突然現れたこの曲は、そんな“説明できない感覚”を連れてきた。

光がゆっくり滲んでいくような“あのイントロ”

『Passion』の世界に引きずり込まれる一番の理由は、やはり冒頭の音像だろう。

ぼやけた残像が何層にも重なり、遠くから呼びかけられているようなコーラスが響き、やがてビートが静かに脈を打ち始める。まるで雪の降る夜、街灯の光が白い粒に反射して滲んでいくような感覚。J-POPでありながら、日本の冬でも、海外の街角でもない、“どこでもない場所”へ連れて行かれる。

この曲が持つ透明感は、温度の低い電子音と、柔らかく伸びるボーカルが混じり合うことで生まれるものだ。

当時の宇多田ヒカルは、すでに国内トップアーティストとしての地位を築きながらも、より自由で芸術的なアプローチを模索していた。その中から生まれた『Passion』は、商業的な“分かりやすさ”よりも、はっきりと“世界観そのもの”の純度が優先されている。

“幻想”が立ち上がる理由は、音のレイヤーにある

この曲の魅力を語るとき、多くのリスナーが口にするのが「とにかく浮遊感がすごい」という言葉だ。だがそれは偶然の産物ではなく、音の重ね方が計算され尽くしているからこそ生まれるものだ。

ビートは規則的なのに、上に乗るシンセは水面の揺らぎのように不安定で、コーラスは人の声とも楽器ともつかないほど透き通っている。

耳が“どこに焦点を合わせたらいいのか分からない”状態を意図的に作り出すことで、曲全体が常に宙に浮いているような感触になる。

そしてその上を滑っていく宇多田ヒカルの声。

強く主張するわけではなく、感情を過剰に乗せるわけでもない。なのに、ひとつひとつの音がしっかりと空気を震わせていく。その絶妙なバランスが、“夢の中なのに、やけにリアルな手触り”を生んでいる。

“未来のJ-POP”を少しだけ先に鳴らしていた一曲

2005年当時、日本の音楽シーンはまだ“王道J-POP”のフォーマットが主流だった。

だが『Passion』は、そのテンプレートを静かに押し広げていた。歌詞の意味をストレートに提示するより、音としての“言葉の響き”を優先したボーカル。ビートは確かに刻まれているのに、踊るためではなく“漂うため”のリズム。感情の高まりをメロディで説明するのではなく、音の密度で感じさせる手法。

これらはのちのJ-POP、あるいは日本の音楽シーン全体に広がっていくアプローチの“先駆け”のようでもあった。その意味で『Passion』は、商業的な大ヒット曲ではないものの、音楽の未来の気配を、20年前の冬にそっと鳴らしていた一曲だと言える。

あの冬の夜の光景が、いまでも少し胸をざわつかせる

20年経った今でも『Passion』を耳にすると、ふと胸の奥がざわつく。懐かしさとも違う、切なさとも違う、あの“光の粒”のような感覚。

冬の夜、街灯に照らされた雪のように、そっと、儚く、しかし確かに光る。20年前のあの揺らぎは、いまも音の中に息づいている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。