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35年前、 冬バラードを裏切った“国民的ユニット”の底力 真冬に夏を届けて40万ヒットしたワケ

  • 2025.12.5

「35年前の冬、街はいったいどんな色をしていたんだろう?」

年末の商店街にはイルミネーションが点滅し、百貨店のBGMはにぎやかに弾け、どこへ行っても“明るい音”が風に混ざっていた。1990年の冬は、まだバブルの余韻が残っていて、街の空気にはどこか“キラキラした無敵感”すら漂っていた。そんな光景の中心に、ひときわ強い光で跳ね回っていた曲がある。

B.B.クィーンズ『ギンギラパラダイス』(作詞:長戸大幸・作曲:織田哲郎)――1990年12月19日発売

2枚目のシングルとしてリリースされたこの曲は、冬空の下でも南国の太陽のように輝き、聴く人の気持ちまで明るく染め上げた。気づけば街中が口ずさんでいて、さりげなく耳に入っただけで“景色を明るくしてしまう”ような存在感があった。

年末の空気とともに広がった“キラキラの衝撃”

『ギンギラパラダイス』が世に出た1990年末、B.B.クィーンズはすでに大ヒット『おどるポンポコリン』で国民的ユニットとなっていた。だが、その続くシングルに、ここまで弾ける曲を持ってくるとは誰が予想しただろう。

リズムもメロディも、まるで南風が吹き抜けるように軽快で、織田哲郎らしいキャッチーさが全編に散りばめられている。聴いた瞬間に気分が持ち上がっていくあの高揚感は、この頃のJ-POPが持っていた“純粋な明るさ”そのものだった。

そして楽曲をさらに印象づけたのが、スポーツショップ「Victoria」のCMソングとして流れ続けたこと。年末の買い物客が集まる場所でこの曲が鳴り響き、街のBGMのように広がっていった。結果、シングルは40万枚以上を売り上げるヒットとなり、その明るさは冬の空気の中にしっかり定着した。

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B.B.クィーンズ-1990年撮影(C)SANKEI

“明るいだけじゃない”B.B.クィーンズの底力

『ギンギラパラダイス』の魅力は、ただ楽しいだけではなく、アンサンブルの緻密さにもあった。児童合唱のような伸びやかなコーラスと、陽気でテンションの高いリードボーカル。それらが織田哲郎の作り上げた軽快なメロディに乗ることで、無邪気さと大人のポップセンスが絶妙なバランスで同居している。

さらに編曲面では、リズムの跳ね方やブラス風のアタックが、曲そのものの“陽性エネルギー”を一層強調している。胸の奥で小さな火花が散るようなワクワク感が、サビに向かうごとに自然と膨らんでいく。これほど年末の空気と相性のいい曲も珍しい。

冬にあえて“夏の光”を届けたというセンス

時期としてはクリスマス直前の12月19日。世の中の多くのアーティストがしっとりした冬バラードをリリースする中で、B.B.クィーンズは真逆を突き抜けた。それもただ突き抜けただけではなく、“冬に明るさを届ける”という発想が、当時のリスナーにとっては心地よい裏切りだった。

思えばこの時期は、テレビも街も情報も多く、どこかせわしなく賑わっていた。けれど、そんな空気の中で『ギンギラパラダイス』は、複雑なことを考えるより、ただ体を揺らせばいいとでも言うように、軽くて、自由で、ポップで、まっすぐだった。

その“力の抜けた明るさ”が、1990年の冬にぴったり寄り添った理由なのかもしれない。

今でも冬の記憶を呼び起こす、あの光の粒

35年経った今、ふとしたタイミングでこの曲を聴くと、当時の賑やかで温かい冬の空気が、そっと胸の奥に蘇る。年末特有のワクワクや慌ただしさ、人々の足取りがほんの少しだけ軽やかだったあの感じ。

『ギンギラパラダイス』は、ただのヒット曲ではない。冬の街のざわめき、年末の空気、店先の明るさ、そんな“季節の匂い”をまるごと閉じ込めたポップスだ。

今思えば、あの瞬間にしか存在しなかった“冬の光”のような曲だったのだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。