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ルーヴル美術館強盗事件で消えたジュエリー。かけがえのない宝飾品の運命は?

  • 2025.10.23
France, Portrait of Eugenie de Montijo, wife of Napoleon III, Empress consort of the French (1853-1871)

常に文化の指標として存在し続けてきた、パリのルーヴル美術館。今月、この歴史ある文化的施設で起こったわずか7分間の襲撃は、世界中で白熱した議論を巻き起こしている。

現地時間の日曜午前9時30分頃、顔を隠したふたりの人物が電動工具とクレーンを使用して、フランスの王冠の宝石類を多く収蔵する「アポロン・ギャラリー」に窓から侵入。フランス文化省によれば、窃盗犯は8点の貴重な品々を持ち去ったという。エマニュエル・マクロン仏大統領は声明で、この強盗事件を「この国の歴史だからこそ我々が大切にしている遺産への襲撃」と表現した。

ルーヴル美術館が盗難に遭ったのは今回が初めてではない。レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は1911年にイタリア人作業員のヴィンチェンツォ・ペルージャによって盗まれ、2年後にフィレンツェで回収された。1976年には3人の強盗犯が、1824年のシャルル10世の戴冠式で使用されたダイヤモンドをあしらった剣を盗み出すことに成功。その7年後、ロスチャイルド家が寄贈した16世紀ミラノの甲冑が消失し、2021年にようやく発見された。1998年には、フランス人画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローの風景画《セーヴルの道》が展示室の壁から盗まれたことを受け、ルーヴルの警備システムが大幅に強化された。それだけに、今回の強盗事件はなおさら衝撃的だった。

ジュエリー業界の誰もが驚愕しています」とUS版『VOGUE』のコントリビューティング・エディターであり、専任ジュエリー・エキスパートのリン・イェーガーは語る。「パリやその他の地域でも宝飾品を盗むギャングは数多く存在してきましたが、今回の事件は1911年の《モナ・リザ》強奪事件に匹敵する一大事と言えるでしょう。とても気が滅入るような出来事です」

では、日曜に実際に何が盗まれ、そしてそれらはどこへ向かっているのか?「直近10年で最大の盗難事件」と呼ばれているこの事件の核心にある品々について、現時点で判明している情報をまとめてみた。

ルーヴルから盗まれたものとは?

2020年1月、ルーヴル美術館で展示されたマリー・ルイーズ皇后のエメラルドの宝飾品。
FRANCE-CULTURE-MUSEUM-LOUVRE2020年1月、ルーヴル美術館で展示されたマリー・ルイーズ皇后のエメラルドの宝飾品。
ルーヴル美術館職員により回収されたウジェニー皇后のティアラ。写真は2025年4月に同館で展示された際に撮影された1枚。
Jewels Stolen In Raid On Louvre Museum In Parisルーヴル美術館職員により回収されたウジェニー皇后のティアラ。写真は2025年4月に同館で展示された際に撮影された1枚。

文化省の発表によると、盗まれた宝石類は以下の通り。

  • 1810年にナポレオンが二番目の妻であるオーストリア皇女マリー・ルイーズ皇后へ送った結婚祝いのネックレスとイヤリング
  • マリー・アメリー王妃とオルタンス王妃のネックレス、イヤリング、ティアラ
  • ウジェニー皇后の「聖遺物」ブローチ、ボウブローチ、ティアラ

幸運なことに、ウジェニー皇后のティアラはもう一点の盗難品とともに現場で発見され、犯人が逃走中に落としたのではと推測されている。

かけがえのない価値のある宝飾品を身につけていた、かつての持ち主たち

ウジェニー皇后(1856年撮影)。
Limpératrice Eugénie En Prière,ウジェニー皇后(1856年撮影)。
オーストリア皇女マリー・ルイーズ皇后の肖像。
Portrait of Marie Louise of Austria, Duchess of Parma, Piacenza and Guastallaオーストリア皇女マリー・ルイーズ皇后の肖像。

ウジェニー皇后として知られるウジェニー・ド・モンティジョはナポレオン3世の妻であり、ボナパルト朝のファッションの権威として、そして“オートクチュールの父”である英国のクチュリエ、シャルル=フレデリック・ウォルトとのコラボレーションによって、服飾の歴史の流れを変えた人物としても有名だ。ファッションジャーナリストであり、評論家でもあるアレクサンダー・フューリーは、ウジェニーが「エンプレスブルー」という色を世に送り出しただけでなく、ルイ・ヴィトンLOUIS VUITTON)のトランクの流行のきっかけを作ったと評価している。

「1854年、ヴィトンがパリのヌーヴ・デ・カプシーヌ通りにトランク職人として最初の店を構えた当時、彼は皇后の鞄を製作するだけでなく、その鞄に詰める美しい品々を作る役目も担っていた」とフューリーは2013年に記している。「この世で最も美しい服を、見事に揃えてくれた」──フューリー曰く、皇后はかつてそう言ったそうだ。

オルタンス・ド・ボアルネの肖像。
Portrait Of Hortense De Beauharnaisオルタンス・ド・ボアルネの肖像。
マリー・アメリー王妃。
Maria Amalia of the Two Sicilies, 19th century.Artist: Deanマリー・アメリー王妃。

パルマ女公マリー・ルイーズは、1814年のナポレオン1世の退位後に彼の元を去るまで、最初の妻として知られた人物。歴史上最も有名な宝飾品のひとつとして知られ、幸いにも今回の略奪を免れた「ナポレオン ダイヤモンド ネックレス」は、息子のナポレオン2世の誕生を祝って、1811年に夫から贈られたものだ。

また、オランダ王妃オルタンス・ド・ボアルネや、フランス王妃マリー・アメリーも、今回の盗まれたダイヤモンドとサファイアのジュエリーセットを身につけていた。このセットはかつてマリー・アントワネットが所有していたと考えられており、取り外してブローチとしても着用できる24個のセイロンサファイアと1,083個のダイヤモンドをあしらった王冠も含まれていた。

盗まれたジュエリーの行方は?

盗まれた品々の行方についてイェーガーはさまざまな仮説を立てており、「ふたつの筋書きが考えられる」と語る。「ひとつは、どこかの有力者が今回の強盗の黒幕で、その人物の手に渡っているというもの。奇妙に聞こえるかもしれませんが、ジュエリーが分解され、宝石は取り外されて、金属も溶かされてしまうもうひとつの筋書きより、そのほうがよっぽどましです」

Text: Emma Specter Translation: Motoko Yoshizawa

From VOGUE.COM

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