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「産んでなんて頼んでない!」 女子高生の暴言に、母親が 《衝撃のホンネ》 吐露… 果たして どちらが悪かったのか?

  • 2025.10.11

Yahoo!知恵袋の投稿きっかけに

母と娘のイメージ
母と娘のイメージ

X(旧ツイッター)のとあるアカウントが紹介した「Yahoo!知恵袋」の内容が大きな注目を集めました。投稿者である女子高校生が母親に対して「産んでなんて頼んでない!」と言い放ったところ、母親が「自分も産みたくなかったが、父親が欲しがったから産んだ」と衝撃のホンネを明かし、娘(高校生)は強いショックを受けた、というものです。

この衝撃的なエピソードはX内で拡散され、多くのユーザーが私見を述べ合う形となりました。議論の中心は、親子間での“本音のやり取り”が果たして適切か否かであり、母親の返答を支持する賛成派と否定する派に分かれています。

母親に賛同するあるユーザーは、「お互いに言ってはいけない言葉。娘さんは母親を傷付けることを言ったのだから、同じように相手から傷付くことを言われても仕方ない」と、両者の責任を同列に扱い、娘の過失を指摘しています。また別のユーザーは、「母親が悪いという意見が多いが、投稿者はもう高校生。社会に出る前に、失言するとどうなるかを教えてもらえて良かったのでは」と、10代後半という年齢を考慮し、母親の対応を、感情的な反撃ではなく人間関係の繊細さを教えるための“荒療治”的な教育だと見なしました。

さらに別のユーザーは、「産みたくなかったのに命懸けで産んで、高校生まで育ててきた。その十数年を踏みにじるような言葉を吐かれたのだから、いくら親でも心が折れてしまう」と、娘の発言がいかに軽率であったかを強調し母親を擁護しました。

これら賛成派の意見は、親も感情を持つ一人の人間であり、その忍耐には限界がある、事の引き金は娘自身の暴言だった、と見なすものが中心。母親の反論を正当防衛あるいは人間としてやむを得ない反応だった、と結論付けている点が特徴です。

一方、母親の言葉を全面的に否定する派は、子どもの存在を否定するような発言は、いかなる理由があっても親として許されないと主張します。

あるユーザーは、「この母親は精神年齢が低い」と、その対応を感情のコントロールができない未熟な行為だと一刀両断しました。子どもからの挑発の有無に関わらず、親は子の感情的な防波堤となるべき存在であり、それができないのは親としての資質が欠けているとする見方です。

また別のユーザーは、「100%親が悪い。『産んでなんて頼んでない』は誰も否定できない正論だが、子作りをしてこの世に生み出しておいて『産まれてほしいなんて頼んでない』は通らない」と、母親の返答は自身の行動に無責任であり、親としての責任を放棄した暴論だと批判しています。

これは、子どもは生まれることを選択できないという絶対的な事実に対し、親は自らの意思で出産する選択をしたという、両者の立場にある非対称性を指摘したもの。そのため、親が子の存在意義を揺るがす発言をすることは論理的にも倫理的にも許されない、とするものです。

さらに別のユーザーは、「子どもにとって、自分が望まれて生まれたかどうかは自己の存在意義に関わる大事な事柄。もし本当に望んでいなかったとしても、それを子どもに言ってしまう親など幼稚としか言いようがない」と、子どもが受ける精神的ダメージの深刻さを重視、母親という存在の言葉が持つ危険性を指摘しています。

このように否定派は、主に、親には感情的な本音を抑えてでも子どもの心の安全を守る絶対的な義務があるという観点に立っています。母親が夫に責任を転嫁している点も、親としての責任感の欠如の表れだと厳しく批判しています。

一連の議論は、単なる親子げんかの範疇(はんちゅう)を超え、親と子の関係性や親のあるべき姿をあらためて問い掛けるものとなりました。賛成派は親の「人間性」を、否定派は親の「義務」を優先する形で対立していますが、どちらも家族のあり方を真剣に模索するものとして理があると言えそうです。

子育ての難しさを再認識させるものとして、なお拡散され続けている投稿。あなたはこのエピソードをどのように受け取りましたか?

(LASISA編集部)

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