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30年前、50万枚超を売り上げた“洋楽チックな国民的ヒットソング” W杯バレーを盛り上げた“衝撃デビュー曲”

  • 2025.10.26

「30年前の秋、あのビートが鳴った瞬間、空気が変わったのを覚えてる?」

1995年。街はCDショップのウィンドウから溢れるダンスチューンで輝いていた。交差点を行き交う若者たちのイヤホンからも、同じリズムが響いていた。誰もが未来に期待していて、音楽がまだ“時代の中心”にあった時代だ。そんな熱気の中で、6人組の新しいグループがシーンに現れる。彼らの名はV6。デビュー曲がこれだった。

V6『MUSIC FOR THE PEOPLE』(作詞:秋元康・作曲:G.S.A.J.Project)――1995年11月1日発売

この一曲が、グループのすべての始まりであり、同時に“90年代後半の勢い”そのものを象徴するような楽曲だった。

世界と繋がるようなサウンドの衝撃

『MUSIC FOR THE PEOPLE』が放たれた瞬間、まず耳に飛び込んできたのは、圧倒的に“洋楽的”な音の厚みだった。海外のクラブシーンを思わせる四つ打ちのビート、エレクトロなシンセサウンド、そして多層的なアレンジ。まるで「世界基準のダンスミュージックを日本語でやってみせる」という宣言のようでもあった。

この曲は、フジテレビ系『バレーボールワールドカップ1995』のイメージソングとして全国に繰り返しオンエアされた。大会期間中、この楽曲が生み出す高揚感が、スポーツの熱気と完全にシンクロした。まさに「人々を動かす音楽」というタイトル通りの、ポジティブなエネルギーに満ちていた。

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※Google Geminiにて作成(イメージ)

“踊れるジャニーズ”という新しい時代の幕開け

V6の登場は男性アイドルシーンにも明確な変化をもたらした。「踊れるグループ」がメインストリームに立つ――それを本格的に体現した最初の瞬間が、このデビュー曲だったのだ。

彼らは2つのユニット、20th CenturyとComing Centuryに分かれて活動するなど、当時としては非常に斬新な構成を取っていた。そのフレッシュさとエネルギーが、バレーボール中継を通じて全国のファン層に火をつけた。結果としてシングルは50万枚(ハーフミリオン)を超えるセールスを記録し、V6という名前を一気に全国区に押し上げる。

海外チームが仕掛けた“未来の音”

作曲を担当したのは「G.S.A.J.Project」という海外チーム。実際の音作りには、当時のユーロビートやトランス的な要素が巧みに組み込まれており、“欧州ダンスの勢い”が息づいている。イントロから一気に突き抜けるハイテンポなサウンドは、ただのアイドルソングの枠を超え、まるでクラブのフロアをそのままテレビに持ち込んだような衝撃を与えた。

また、作詞を手がけた秋元康によるフレーズも印象的だった。英語と日本語を織り交ぜ、直接的なメッセージではなく、「音楽そのものを信じる力」を描く。これは、当時の若者たちが共有していた“閉塞感のなさ”“前向きな自由”を象徴するようでもあった。

“はじまりの光”としての6人で描いたはじまり

V6は坂本昌行、長野博、井ノ原快彦という落ち着いたメンバーに、森田剛、三宅健、岡田准一という新世代の3人が並ぶ構図は、バランスと勢いを両立していた。6人それぞれの個性が光りながらも、「ひとつのチーム」として機能している――それが、彼らのデビュー時からの最大の魅力だった。

V6のその後を知る私たちにとって、このデビュー曲は単なるスタートではない。後の『TAKE ME HIGHER』や『WAになっておどろう』といった国民的ヒットへと続く“希望の序章”でもあった。今聴き返すと、あの時代の勢いやキラキラとした期待感がそのまま閉じ込められているのが分かる。

バレーボールのスパイク音、深夜のテレビ、CDの回転音――それら全部が混ざり合っていた95年の秋。『MUSIC FOR THE PEOPLE』は、そんな「90年代の勢い」そのものを音で描いた記録だ。

時代を超えても、あのイントロを聴けば胸が高鳴るのは、あの年に確かに“未来が始まった”からだろう。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。