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没後初、森英恵の大回顧展『ヴァイタル・タイプ』開催! オートクチュールのドレスや資料約400点を展示

  • 2025.9.30

日本が世界に誇るファッションデザイナー、森英恵の生誕100周年を記念し島根県立石見美術館で没後初となる大規模な展覧会『ヴァイタル・タイプ』が開幕した。森は1926年に島根県・鹿足郡六日市町(現・吉賀町)で生まれ、開業医の父と専業主婦の母、そして2人の兄と姉、妹とともに幼少期を自然豊かな田舎町で過ごした。1950年代にキャリアをスタートさせてから2004年秋冬オートクチュール・コレクションでの引退まで、故郷の自然の色や柄は森のクリエイションのベースとして色濃く反映されている。

同展覧会ではオートクチュールのドレスや当時の写真、資料など約400点を展示。森の長きに渡る輝かしいキャリアを巡るとともに、母そして妻として家庭を築きながらも大きな仕事を成し遂げた、当時では新しい女性の生き様にもスポットライトをあてていく。

母そしてデザイナーとして、新しい女性の生き方

新宿東口のビルに開業した洋装店「ひよしや」と当時の森英恵。 Photo_ 石井幸之助 森英恵事務所提供
新宿東口のビルに開業した洋装店「ひよしや」と当時の森英恵。 Photo: 石井幸之助 森英恵事務所提供

森は、東京女子大学卒業後まもなく結婚。妊娠・出産後、主婦業をこなしながらドレスメーカー女学院に入学し、最初にデザインしたのは長男の子ども服であった。お金があっても物が買えない戦中・戦後を体験してきた森の「せめて家族の服くらいはつくれるようになりたい」という気持ちが伺える。

洋裁の技術を身につけた森は卒業後、1951年に新宿東口のビルに洋装店「ひよしや」を開業する。ショウウィンドウにはマネキンを並べ、美しい色彩のドレスを飾った。戦争で自由を奪われてきた女性たちからは語られることの少なかった“本音”をファッションというカタチで鮮やかに投影してみせたのだ。開店当時から店は賑わいをみせ、まだ学生だった高田賢三や当時の『装苑』編集長であった今井田勲ら日本のファッション界を担う重鎮が出入りしていたという。

森の夫である賢が営む喫茶店「ヴェルテル」には文化人が多く募った。毎日新聞社提供
森の夫である賢が営む喫茶店「ヴェルテル」には文化人が多く募った。毎日新聞社提供

「ひよしや」の近くには夫の賢が喫茶店「ヴェルテル」を構えた。ここは当初、「ひよしや」を利用する客が待ち時間を快適に過ごすためにつくられた店であったが、やがて雑誌の編集者や映画、美術関係者たちの打ち合わせの場として多くの文化人が利用するようになる。森はこの「ヴェルテル」で、受注会も兼ねてファッションショーを行った。日本でファッションビジネスがまだ確立されていなかった時代であったが、夫とともに夢を持って走り出した地といっても過言でない。

映画衣装でリアルな人物像を表現

1950〜60年代に手掛けた映画衣装の数々。
1950〜60年代に手掛けた映画衣装の数々。

1950年代、日本の娯楽の中心は映画であった。やがて日活映画の美術監督と衣装部との出会いによって、森は映画衣装を手がけるようになる。デザインや素材選びから仮縫い、縫製までをスターのスケジュールにあわせて行い、寝る暇もなく制作に打ち込んだという。

左:森英恵《デイドレス(映画『闘牛に賭ける男』衣装)》1960年、島根県立石見美術館蔵 右:森英恵《男性用アロハシャツ(『狂った果実』衣装)1956年、島根県立石見美術館蔵
左:森英恵《デイドレス(映画『闘牛に賭ける男』衣装)》1960年、島根県立石見美術館蔵 右:森英恵《男性用アロハシャツ(『狂った果実』衣装)1956年、島根県立石見美術館蔵

本展では、1956年の『狂った果実』や、1967年の『波止場の鷹』、同年に公開された『夜霧よ今夜も有難う』などの衣装を展示。日活映画の黄金期に大きく貢献したことがわかる。松竹や大映、東映など、ほかの映画会社からもオファーが絶えなかったそう。

森はこのたび刊行された遺稿集『日日 新』(かまくら春秋社刊)で当時をこう振り返っている。「気がつけば、十年足らずの間に数百本という映画のコスチュームを手がけていた。服をたくさんつくることは、当時の私にとっていい訓練になった。裏方に徹した厳しい時期ではあったが、時間と予算の制限もあり、鍛えられ、ほかでは得られない特別な経験をした」

日本の伝統と美意識を世界へ

左:森英恵《イヴニングアンサンブル(コート、ドレス)》1968年、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵 右:森英恵《イヴニングアンサンブル(コート、ドレス)》1974〜75年、ハナヱ・モリ、メトロポリタン美術館、NY、森英恵氏寄贈、1975年(1975, 86. 2a, b)
左:森英恵《イヴニングアンサンブル(コート、ドレス)》1968年、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵 右:森英恵《イヴニングアンサンブル(コート、ドレス)》1974〜75年、ハナヱ・モリ、メトロポリタン美術館、NY、森英恵氏寄贈、1975年(1975, 86. 2a, b)

森は1961年、はじめてフランス・パリを訪れる。その後、米・ニューヨークにも足を運び海外進出を視野に入れるようになった。日本の伝統と美意識を世界にアピールすべく、改めて日本美術や文学、布地について学び直した。日本産の帯地や絹織物で制作されたイブニングコートは、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されているもので、本展覧会のため特別に展示されている。

日本人としての確固たるアイデンティティ

1976年、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、コスチュームインスティチュートを訪れたダイアナ・ブリーランド。
1976年、ニューヨーク・メトロポリタン美術館、コスチュームインスティチュートを訪れたダイアナ・ブリーランド。

1965年1月9日、ホテル・デルモニコにてニューヨークで初のコレクションを発表した。東京オリンピックを開催した翌年ということもあり、世界中が日本に注目し始めたまさに絶好のチャンスであった。

同コレクションは「MIYABIYAKA(雅やか)」と題され、東洋と西洋の文化の出合いを独自のクリエイションに落とし込んだ。ニューヨークのデパートで取り扱いが始まると同時に森の才能にいち早く注目したのが当時、米国版『VOGUE』の編集長を務めていたダイアナ・ヴリーランドだった。日本の伝統を活かした優美な表現は、『VOGUE』を通してたちまち世界中に知れ渡っていった。

1967年、米国版『VOGUE』(コンデナスト刊)
1967年、米国版『VOGUE』(コンデナスト刊)

森の作品は東洋美術のコレクターとしても有名なメアリー・バークをはじめ、多くの文化人たちから愛され、日本を代表する気鋭のデザイナーとして名声を獲得していく。ここでは戦後巨大なマーケットとなった、アメリカのファッション業界に挑んだ森のクリエイションを巡る。

左:1964年、西陣織の帯地を使用したイブニングコート 中央:1965年秋冬、金糸と銀糸で扇の模様を描いたジャケット、ディナードレス 右:1965年、西陣織の帯地ジャケットと絹サテンのドレス
左:1964年、西陣織の帯地を使用したイブニングコート 中央:1965年秋冬、金糸と銀糸で扇の模様を描いたジャケット、ディナードレス 右:1965年、西陣織の帯地ジャケットと絹サテンのドレス

アメリカ時代の初期を象徴するのが、京都西陣で織られた帯地のコートやジャケットだ。絹糸に薄い金の箔を織り込んだ金糸を使用することで、力強く華やかな輝きを放っている。ほか、縮緬(ちりめん)を用いた軽やかなドレスや、明るい色彩のツイルとシフォンのイブニングドレス、木綿でつくられた伊予絣のワンピースなどを展示している。

左:1973年、江戸の風景を描いた縮緬のドレス 中央:2004年、秋の草花をイメージして染められた縮緬のテイラードジャケットとスカート(ストール付き) 右:1972年、艶やかな牡丹を描いた縮緬のドレス
左:1973年、江戸の風景を描いた縮緬のドレス 中央:2004年、秋の草花をイメージして染められた縮緬のテイラードジャケットとスカート(ストール付き) 右:1972年、艶やかな牡丹を描いた縮緬のドレス
2004年春夏オートクチュールから伊予絣のドレスとジャケット、レースを組み合わせたドレス
2004年春夏オートクチュールから伊予絣のドレスとジャケット、レースを組み合わせたドレス

アメリカでの日々について森は遺稿集でこう綴る。「日本にモダンライフをもたらした国、アメリカ。敗戦国からの若いひとりの女にとってはすべてが新鮮で、エネルギーにひかれた。その一方で、そのときに受けた日本人としての屈辱と、冗談じゃないというもやもやした思いがずっとお腹の底にあった」

また、メトロポリタン歌劇場で観たオペラ『マダム・バタフライ』で描かれていた蝶々夫人について、「およそ日本のことがわかっていない。男に捨てられたただ哀れな女として描かれている。日本の女はこんなじゃない、強い日本の女の本当の姿をわからせたい」と述べる。そんな強い思いが原動力となり、森を新しいステージへと突き動かしていく。

可憐な色彩で織りなすテキスタイル

左:森英恵《アンサンブル(テキスタイル「晩夏に咲く」)》1972〜73年、ハナヱ・モリ 中央:森英恵《ドレス(テキスタイル「牡丹」)》1976〜77年頃、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵、マーク・ポメロイ氏寄贈 右:森英恵《イヴニングドレス(テキスタイル「胡蝶の夢」)》1973年夏、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵、マーク・ポメロイ氏寄贈
左:森英恵《アンサンブル(テキスタイル「晩夏に咲く」)》1972〜73年、ハナヱ・モリ 中央:森英恵《ドレス(テキスタイル「牡丹」)》1976〜77年頃、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵、マーク・ポメロイ氏寄贈 右:森英恵《イヴニングドレス(テキスタイル「胡蝶の夢」)》1973年夏、ハナヱ・モリ、島根県立石見美術館蔵、マーク・ポメロイ氏寄贈

着る人の個性が引き出される服づくりを追求し続けた森。なかでも特にこだわったのが、色彩と素材の心地よさだ。日本の絹地を使ったドレスは当時アメリカでも非常に人気があり、絹を用いた森のクリエイションは憧れであったという。鮮やかなテキスタイルを用いたドレスの布を手掛けたのが、四季ファブリックハウス(現・デザインハウス風)の松井忠郎だ。迫力満点の牡丹や、まるで絵画のように美しい色彩はファッションとアートの境界線を超え人々を魅了した。

出版、映像の世界でクリエイションを発信

かつて表参道のランドマークであったハナヱ・モリビル
かつて表参道のランドマークであったハナヱ・モリビル

1966年、ファッションの関する最新の話題を提供し、森の新作も紹介する媒体として『森英恵流行通信』を刊行した。当初はブランドのPR誌としての役割を担っていたが、1969年に『流行通信』と改め、気鋭のデザイナーや写真家、アーティストを起用した鋭き切り口で、ファッション&カルチャー誌としての位置を確立した。

その後も、ハナヱ・モリグループとして事業を拡大し、78年には表参道にハナヱ・モリビルが完成。ここではさまざまなショップを展開し、森のショーを開催したり、若手アーティストの作品を発表するなどファッションに敏感な人々の交流の場となった。出版部門ではアメリカのファッション業界紙『WWD』の日本版として『WWD Japan』(INFASパブリケーションズ刊)を発行。83年には、映像部門としてテレビ番組『ファッション通信』をスタートした。

INFASパブリケーションズによる刊行物も展示。
INFASパブリケーションズによる刊行物も展示。

森英恵が創る洗練されたユニフォーム

森がデザインを担当した水戸芸術館と日本航空(客室乗務員)の制服。
森がデザインを担当した水戸芸術館と日本航空(客室乗務員)の制服。

森自身も働く母であることから女性と社会との関わりを見つめるべく、ユニフォームや制服のデザインにも力を注いだ。なかでも当時話題となったのが日本航空の客室乗務員の制服で、1967年の4代目から6代目までのデザインを担当した。鮮やかなスカイブルーのジャケットや日の丸をイメージしたハットは、今みてもチャーミングだ。ミニスタイルが話題となった1970年の5代目はテレビドラマにも使用されていたという。1992年にはバルセロナ・オリンピック日本選手団のユニフォームを手掛けた。

パリ、華麗なるオートクチュールの世界

森英恵が手掛けた1977年から2004年のオートクチュールを展示。
森英恵が手掛けた1977年から2004年のオートクチュールを展示。

1977年、森はパリ・オートクチュール組合の正会員に加盟された。日本そしてアメリカでの活躍を評価されてのことで、東洋人のデザイナーとして初となる快挙であった。アメリカでは色と柄を活かした表現を確立し、パリではオートクチュールならではの素材や技巧をさらに追求し創作の幅を広げていく。

ここではパリで発表した1977年のデビューコレクションから、2004年のファイナルコレクションまでを一同に展示。森のクリエイションを語る上で外せないキーワードを立てながら、華やかなオートクチュールの世界を体感することができる。

1984年春夏、イヴニングドレス「花の黒いドレス」と「花の白いドレス」。
1984年春夏、イヴニングドレス「花の黒いドレス」と「花の白いドレス」。

繊細さと大胆さを兼ね備えたイヴニングドレスは、フロントに絹サテンのアップリケを施し力強い女性像を投影しているようだ。ビーズ刺繍によって、キラキラと高貴な輝きを際立たせている。

左:1989年春夏、イヴニングドレス 右:1988年春夏、イヴニングドレス「コクリコの夜会服」
左:1989年春夏、イヴニングドレス 右:1988年春夏、イヴニングドレス「コクリコの夜会服」

森にとって色はもっとも大事なキーワードのひとつだ。すべての色は故郷である島根の自然や風景が源となっている。たとえば、強い赤は曼珠沙華。毒々しい華やかさに怪しい魅力をまとっているようだ。遺稿集にはこう綴られている。「私の色は故郷の自然の色。きれいな布地を見れば、これでドレスを作りたいと手にとる。その感受性は故郷の自然が育んでくれたものに違いない」

1976年春夏、イヴニングドレスとストール。
1976年春夏、イヴニングドレスとストール。

“マダム・バタフライ”の愛称で多くの人々を魅了してきた、森英恵。美しい蝶はブランドのシンボルとして長きに渡って作品に用いられてきた。まるで蝶が世界に羽ばたくように、揺るぎない志と好奇心を持ち続け、服の力で女性のライフスタイルを牽引してきたその数々の功績は、現代に生きる人たちに何かヒントを与えてくれるだろう。同展覧会では森英恵と仕事をともにしたアーティストたちの作品や写真を展示し、かれらとの交流も紹介している。

オープニングの前日に行われた内覧会では、森英恵の長男である森顕(元INFASパブリケーションズ代表)、その妻のパメラ夫人、ふたりの次男である森勉をむかえ記者会見が行われた。それぞれの視点で森英恵との思い出を回想するなか、森顕は本展について「自分の故郷で、私が制作してきた衣装展をみていただきたい、それが母の遺言でした。石見美術館で実現できたことは夢のようです」とコメントした。

『生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ』は島根県立石見美術館で12月1日(月)まで開催中だ。

『生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ』

会期/〜2025年12月1日(月)

会場/島根県立石見美術館 島根県益田市有明町5-15 島根県芸術文化センター「グラントワ」内

料金/当日一般 1,300円、大学生 1,000円、高校生以下無料

休館日/火曜日

問い合わせ先/0856-31-1860

Text: Megumi Otake Editor: Yaka Matsumoto, Nanami Kobayashi

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