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30年前、日本中が息を呑んだ“国境を越えた衝撃のカバー曲” 70万枚超えを叩き出した“伝説のダンスナンバー”

  • 2025.9.28

「30年前、街のあちこちで響いていた歌声を覚えてる?」

1995年の始まり。駅前のカラオケボックスからも、夜のディスコのフロアからも、鋭くて華やかなビートが鳴り響いていた。空気を切り裂くようなユーロビートのサウンドは、まだどこか重苦しい時代の空気を一気に吹き飛ばし、聴く人の心を“ダンスフロア”へと連れ出した。

若者たちは学校帰りに寄るゲームセンターやファッションビルでこの曲を耳にし、大人たちは深夜のクラブで身体を揺らした。音楽が日常を彩り、街のテンポを速めた。そんな勢いで日本中に浸透していったのが、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sのナンバーだった。

安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S『TRY ME 〜私を信じて〜』(作詞:鈴木計見・作曲:HINOKY TEAM)——1995年1月25日発売

国境を越えて生まれた“新しい風”

この曲は、ユーロビートのLOLITA『TRY ME』のカバーである。原曲のスピード感とエナジーをそのまま引き継ぎつつ、日本語詞を加えることで独自の輝きを放った。

プロデュースを手がけたのはMAX松浦。そしてサウンドプロデュースには、イタリアからDAVE RODGERSが参加した。国境を越えて築かれたサウンドは、当時のJ-POPが抱えていた枠組みを軽やかに飛び越え、世界と直結するような開放感を与えていた。

クラブカルチャーとポップスが交わるその瞬間は、日本の音楽シーンに新しい可能性を示したと言えるだろう。

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安室奈美恵-1995年撮影 (C)SANKEI

歌声とダンスが描いた“若さの爆発”

安室奈美恵のボーカルは、力強さと透明感を併せ持ち、シンプルなユーロビートのトラックに鮮烈な存在感を与えた。ビートに負けない伸びやかな声は、若さと勢いそのものを象徴していた。

歌声の背後には、エネルギーを余すことなく解き放つダンスパフォーマンスがあった。SUPER MONKEY’Sのしなやかでアクロバティックな動きと安室の歌唱は、テレビ番組やステージで見る人々を圧倒した。

視覚と聴覚が一体となったこのインパクトは、単なるアイドル的な存在を超え、“音楽そのものの爆発力”を体感させるものだった。

チャートに刻まれた“疾走の記録”

リリース直後からじわじわと注目を集め、長くチャートに留まり続けるロングヒットとなった。その粘り強い人気は、瞬間的なブームで終わらず、多くのリスナーに繰り返し求められ続けた証でもある。

最終的には70万枚を超えるセールスを達成し、当時はまだ新人の枠にいた彼女たちが、一気に「次に来る存在」として名を刻むことになった。この数字の重みは、時代を動かすパワーを持った作品であることを裏づけている。

ユーロビート旋風の真ん中で

90年代前半から中盤にかけて、エイベックスを中心としたユーロビートの流れは日本の音楽シーンを大きく塗り替えていた。『TRY ME 〜私を信じて〜』は、その象徴的な成功例のひとつとして語り継がれる。

煌びやかなファッションとともに流れるビートは、まさに“時代の音”として若者文化をリードした。後に日本を代表するアーティストへと駆け上がっていく安室奈美恵にとっても、この曲は大きな転機であり、確かな礎を築いた作品だった。彼女の歩みの中で、このシングルが放った勢いは決して無視できない。

時代を切り開いた“光速のビート”

街を歩けば、ショップのスピーカーからも、夜のラジオからも、この曲のイントロが流れてきた。耳にすれば自然と胸が高鳴り、つい歩く足取りが早くなる。その疾走感は、停滞感のあった時代の空気を一瞬で切り替える“スイッチ”のように響いた。

学校の昼休みに友達と口ずさみ、休日のディスコでは見知らぬ人と笑顔で踊る。『TRY ME 〜私を信じて〜』は、音楽が世代や立場を超えて人をつなぐことを証明した1曲だった。あれから30年。今聴いても色あせないスピードと輝きは、当時の空気ごと蘇らせる力を持っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。