1. トップ
  2. 35年前、日本中が勇気をもらった“旅立ちの応援歌” 17年越しに蘇った“トレンディなカバー曲”

35年前、日本中が勇気をもらった“旅立ちの応援歌” 17年越しに蘇った“トレンディなカバー曲”

  • 2025.8.17

「ふと、すべてを置いて旅に出たくなることって、ないだろうか。」

1990年の初夏。街にはまだバブルの輝きが残り、人々は浮き立ちながらも、どこか心の奥で次の時代の足音を感じていた。そんな空気の中で、聴く者の心を静かに遠くへ連れ出す一曲がリリースされた。

吉田栄作『心の旅』(作詞・作曲:財津和夫)――1990年5月9日発売。

俳優として脚光を浴びていた彼が放った3枚目のシングルである。

爽やかさを武器に登場したニューヒーロー

神奈川県秦野市出身の吉田栄作は、1988年、フジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でグランプリに輝いた。長身と端正な顔立ち、そしてどこか無骨で真っすぐな雰囲気が審査員と観客の目を引きつけた。ちなみにこの年の準優勝者は、後にグルメレポーターとしてブレイクする彦摩呂だ。

コンテストをきっかけに芸能界入りした吉田は、翌1989年に「ポッキー」のCMソング『どうにかなるさ -chasing my dream-』(作詞:帆苅伸子・作曲:井上大輔)で歌手デビュー。歌声は力強さと素朴さを兼ね備え、俳優活動と並行して音楽活動も本格的に展開していく。

undefined
1991年、「ベストジーニスト'91」受賞時の吉田栄作 (C)SANKEI

白いTシャツとジーンズが似合う男

当時話題になったのが、彼の飾らないファッションだ。白いTシャツにブルージーンズ、シンプルでありながら凛とした姿は、本人曰く「ジェームス・ディーンを意識」したもの。

その爽やかさはスクリーンやステージの上で映えるだけでなく、楽曲の世界観とも絶妙にマッチしていた。とりわけ『心の旅』のように“旅立ち”や“別れ”を描いた曲では、その潔さと透明感が聴く者の胸に深く響いた。

17年前の名曲を再び

『心の旅』は、1973年にチューリップが発表した代表曲であり、財津和夫が作詞・作曲を手がけた。淡々としたメロディの中に、旅立つ切なさと新しい世界への期待が同居する名曲で、当時の若者たちの共感を集め大ヒットした。

しかし、オリジナルを歌ったチューリップは1989年に解散。その翌年、吉田がこの曲をカバーしてリリースしたことは、17年前の名曲を新しい世代に歌い繋ぐ大きな役割を果たしたと言える。原曲ファンからも「吉田の声で聴くとまた違った情景が浮かぶ」と好意的な評価を受けた。

チャートよりも記憶に残るヒット

このシングルはロングヒットとなり、20万枚以上を売り上げた。数字以上に重要だったのは、俳優としての人気が上昇していた時期に、音楽でも確かな存在感を示せたことだ。

ドラマや映画で見せる姿とはまた違う、マイクの前で淡々と歌い上げる吉田の姿は、ファンにとって新鮮で魅力的だった。派手な演出やアレンジに頼らず、歌と存在感だけで空気を変える力が、この曲にはあった。

紅白歌合戦で刻んだ足跡

1990年の年末、吉田は『心の旅』で第41回NHK紅白歌合戦に初出場。堂々とした歌声を全国に響かせた。

この頃、織田裕二や加勢大周とともに“トレンディ御三家(平成御三家)”と称されるなど、若手俳優の中でも抜群の存在感を放っていた。若手俳優でありながら歌手として紅白の舞台に立つという経歴は、彼の多才さを世に印象づけた。

旅と重なる人生

『心の旅』は、曲そのものだけでなく、後の吉田の人生にも象徴的に重なっていく。1995年、彼は芸能活動を一時休止し、かねてから準備していた武者修行のため渡米。まさに自らの人生を賭けた“旅”に出た瞬間だった。

近年、YouTube番組『令和の虎』が若者を中心に人気を集めているが、その元祖『マネーの虎』で司会を務めていたのが吉田栄作だ。当時、志願者と投資家たちの真剣勝負を見守る立場として、冷静かつ的確な進行を続けた姿は、今なお記憶に残っている。

今も続く“心の旅”

吉田栄作の『心の旅』は、リリースから35年経った今もなお、多くの人の胸に生きている。

この曲を聴くと、不思議と景色が変わる。決して豪華ではないが、まっすぐで清潔感のある歌声が、聴く者を静かに背中から押してくれる。そして、その先に広がるのは、自分だけの“新しい場所”だ。

元々の楽曲が持つ普遍的な魅力に、吉田栄作の爽やかな存在感が重なり、新たな世代にも届く1曲となった――それが、『心の旅』が今も色褪せない理由なのかもしれない。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。