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45年前、日本中が涙を飲んだ“アツ過ぎる叫び” 誰もが強烈に共感してしまう“不滅の国民的ヒット曲”

  • 2025.6.27

「45年前の今頃、どんな歌が人々の胸を熱くしていたか覚えているだろうか?」

1980年、日本は高度経済成長期の終焉を迎え、新たな時代への節目に立っていた。社会構造や価値観は変わりつつあり、若者たちは未来への期待と不安を抱えながら、自分たちの生き方や思いを模索していた。

そんな中、音楽シーンはフォークソングやニューミュージックの隆盛期。松山千春、中島みゆきらが次々と登場し、心の叫びを歌に込めていた。そして彼らと並び称される存在ーーそれが、長渕剛だ。

今回は、彼の中でも彼の象徴的な一曲である『乾杯』について改めて振り返っていきたい。

長渕自身のリアルな体験と想いからくる強烈な共感性

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(C)SANKEI

1980年9月5日にリリースされた同名アルバムに収録された『乾杯』は、この時代を象徴する楽曲の一つである。リリース当時、長渕剛はまだ若く、飾らない人間味と強烈な個性で注目を集めていたが、『乾杯』は彼のキャリアを決定づける代表曲となった。

この曲の魅力は、何よりも「友との深い絆と門出のお祝い」をテーマにしている点だ。実はこの曲は、高校時代から長く連れ添った友人の結婚を祝うために作られた曲だったと、公式YouTubeチャンネルで本人の口から明かされている。今は亡き友人との青春や繋がりの強さについて語る長渕の表情や声色、仕草は、心の内に少なからずあるだろう悲しさや寂しさなど微塵も感じさせないほど、なんとも楽しげであり、そして大いに誇らしげであった。

歌詞は極めてシンプルなこの曲。しかし、そういった長渕自身のリアルな体験と想いが詰まっていることも相まって、一言一言に込められた友情や絆は深く、強烈な共感が呼び起こされ、日本中が目頭を熱くしたのだ。

なぜ『乾杯』は広がり、時代を超えて愛され続けているのか?

当時の日本社会は、豊かさの裏に個人主義の台頭や孤独感も潜んでいた。経済の急成長により価値観は多様化し、家族や地域のつながりが希薄になる一方で、人と人との新たな絆が求められていた。そんな時代背景が、『乾杯』の普遍的なメッセージをより際立たせ、瞬く間に日本中に浸透していった理由のひとつだと言える。

『乾杯』はリリース後、居酒屋や宴会場だけでなく、結婚式や同窓会、忘年会などさまざまな集いの場で歌い継がれ、世代を超えた交流の架け橋となった。耳に残るキャッチーな音程と歌詞のシンプルさゆえに誰でも覚えやすく、歌いやすい。さらに、日本各地、津々浦々で日々交わされている「乾杯」という短い2文字のフレーズを曲名に採用したことも、不滅の国民的ヒットに大いに貢献しているに違いない。

時代を超えて心をつなぐ“アツ過ぎる叫び”

45年を経た現在も、『乾杯』は日本人の心に息づいている。メディアでたびたび取り上げられ、若い世代にも新たな意味で受け継がれている。たとえ時代が変わっても、その情熱的なメッセージは色あせることがなく、むしろ人々が孤立しがちな現代だからこそ、その存在価値は一層大きい。

この曲は、人生の旅路における同志への“アツ過ぎる叫び”であり、友情と絆の象徴。長渕剛が込めた男気と優しさは、これからも多くの人々の胸を熱くし続けていくことだろう。


※この記事は執筆時点の情報です。
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