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27年前、日本中が息を呑んだ“異次元のデビュー作” 15歳の少女が“J-POPの常識”を塗り替えた“革命の瞬間”

  • 2025.5.14
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(C)SANKEI

27年前、日本中が息を呑んだ“異次元のデビュー作”

「27年前の今頃、どんな歌声が日本中の空気を変えていたか覚えてる?」

1998年、日本の音楽シーンに突如として現れた1人の少女。まだ15歳だった宇多田ヒカルが放ったデビュー曲『Automatic』は、その年の音楽界を大きく塗り替えた。

それは、“時代”が変わる瞬間だった。

15歳の少女が“J-POPの常識”を塗り替えた“革命の瞬間”

当時のチャートは小室ファミリーやビーイング系のサウンドが席巻していた中、突如鳴り響いたのは、どこか異国の空気をまとうR&Bサウンド。スモーキーで成熟した歌声、英語と日本語を自然に織り交ぜたリリック。そして、聴く者を包み込むような「距離感のある愛」の表現。

「It's automatic 側にいるだけで その目に見つめられるだけで ドキドキ止まらない」

15歳の少女が歌うにはあまりに大人びた世界観に、多くのリスナーが息をのんだ。まさに“衝撃”という言葉以外に見つからないデビューだった。

売上と影響力、そのすべてが“異常値”

『Automatic』は、シングルとしては異例の2形態(8cmと12cm)で発売され、合計で200万枚以上を売り上げる大ヒットに。さらに、デビューアルバム『First Love』は、最終的に日本国内で765万枚という"日本音楽史上最大のセールス"を記録する。だが本当に驚くべきは、その売上だけではない。

“10代が作り、10代が聴き、10代が共感した”という、新しい時代のムーブメントの中心に、宇多田ヒカルはいた。

当時主流だったプロデュース主体のアイドル像とは異なり、自ら楽曲を手がけ、自身の言葉で歌うスタイル。それが彼女を特別な存在にし、次世代のJ-POPを形作っていくことになる。

“自分の感情に名前をつける”ような歌

宇多田ヒカルの歌詞には、従来のJ-POPにありがちだった大げさな表現や直接的な愛の告白はない。むしろ淡々とした描写の中に、深く刺さるリアリティがある。『Automatic』も、その代表例だ。

愛されているのか、不安なのか、期待なのか、諦めなのかーー

言葉にしづらい“感情のグラデーション”を、彼女は15歳で見事に音楽に落とし込んだ。だからこそ、大人になった今改めて聴くと、その奥にある“曖昧さ”や“痛み”に気づかされる。

26年経っても、変わらぬ“存在感”

『Automatic』がリリースされたのは、1998年12月9日。まさに“20世紀の終わり”に誕生した、新時代のシンボルだった。そこから宇多田ヒカルは、時代が変わっても、シーンの真ん中に立ち続けてきた。

自分のペースで、自分の音楽を届けるーーその姿勢は、常に“孤高”でありながら、“誰よりも開かれて”いた。そして『Automatic』は今もなお、音楽ファンの"原点"として、多くの人の中に生き続けている。

それは、ただのヒット曲ではなく、“音楽の歴史を変えた1曲”としてーー


※この記事は執筆時点の情報です。