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32年前、世界を震撼させた“アドベンチャー映画の傑作” “CG時代の幕開け”を告げた革命の衝撃

  • 2025.4.10
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編集部内で作成 ※画像はイメージです

1993年、誰もがスクリーンで“本物の恐竜”に出会った

1993年、誰もがスクリーンで“本物の恐竜”に出会った

「32年前の今頃、どんな映画が話題をさらっていたか覚えてる?」

1993年といえば、音楽ではZARDやCHAGE and ASKAがヒットを連発し、テレビでは『高校教師』や『ひとつ屋根の下』などの恋愛ドラマが人気に。ゲームではスーパーファミコンが家庭の中心にあり、日本中が新しいカルチャーに夢中になっていた。

そんな中、ハリウッドから届いた1本の映画が、世界中の映画ファンを震撼させた。

『ジュラシック・パーク』——1993年7月、日本公開。
恐竜が“生きているように見える”という未体験の映像革命。今なお語り継がれるその衝撃と、映画史に残る理由を振り返ってみよう。

“あの恐竜はCGだった”という信じられないリアリティ

スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた『ジュラシック・パーク』は、マイケル・クライトンの小説を原作とし、「恐竜を現代に復活させる」という前代未聞のテーマを映像化した作品。

注目されたのは、当時としては革新的だったCG(コンピュータグラフィックス)とアニマトロニクス(ロボット造形)の融合。ティラノサウルスの咆哮や動きなどは主にアニマトロニクスによって表現され、一部の動きや群れのシーンにはCGが使用された。

ティラノサウルスの咆哮、ヴェロキラプトルの動き、草食恐竜の群れ——
どれもが“作り物”だとは思えないほどのリアリズムで、観客の目と心を奪った。

「映画で初めて“本物の恐竜”を観た」と言われるほどのその衝撃は、まさに映像技術の革命だった。

なぜ『ジュラシック・パーク』は世界中を夢中にさせたのか?

この作品が多くの人にとって忘れられないものとなった理由は、単なる“恐竜映画”ではなく、「科学の力と人間の欲望」という普遍的テーマを描いていたから。

「生命は必ず、道を見つける」

作中の名セリフに象徴されるように、制御できると思い込んだ科学が暴走し、人間が手に負えない存在に翻弄される。
それは1990年代当時のテクノロジー進化への期待と不安を、象徴的に表していた。

また、スリル、恐怖、知的好奇心、親子の絆など、さまざまな感情を巻き込む構成は、ハラハラする“アドベンチャー映画”でありながら“ファミリー映画”としても成立する、見事なバランスだった。

“恐竜ブーム”と“CG映画の時代”を決定づけた金字塔

『ジュラシック・パーク』の公開後、日本でも空前の恐竜ブームが巻き起こる。
図鑑、模型、博物館展示、子ども向け番組に至るまで、恐竜コンテンツが爆発的に増加した。

そして映画界においても、本作の成功は「CGを使えば、あらゆることを表現できる」という可能性を知らしめ、CG技術普及への道を拓き、その後の映画制作にも間接的な影響を与えただろう。

“リアルすぎる恐竜”が教えてくれたこと

『ジュラシック・パーク』は、ただ恐竜が出てくる娯楽作品ではなかった。

科学が進み、技術が発展する中で、人間の“驕り”に対する警鐘を鳴らした作品でもある。

恐竜たちは、単なる敵ではなく「人間よりも先に地球を支配していた命」。
彼らの生々しさが、私たちの存在そのものを問い直すような力を持っていた。

だからこそ、観終わったあとに残るのは“ドキドキ”だけでなく、“しんとした静けさ”や“畏れ”に近い感情だったのかもしれない。

32年経っても色褪せない、“恐竜が本当にいた世界”

1993年に公開された『ジュラシック・パーク』は、今も世界中で語り継がれる“映画の革命”だった。

CG技術は進化し続けているが、あの時代に生まれた“恐竜たちの命”の迫力を、今も超えられた作品は多くない。

あの夏、スクリーンの向こうに広がっていたのは、まさに夢のような“もうひとつの現実”。

そしてそれは今もなお、私たちの心のどこかで生き続けている。


※この記事は執筆時点の情報です。