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美人で有能で残虐…中国史上唯一の女帝「武則天」は、なぜ最高権力者になれたのか【夫婦・子育ていまむかし Vol.29】

  • 2024.12.4

ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。

前回のマリー・アントワネット編はいかがでしたか?

「パンがなければお菓子を食べればいい」のセリフ(本人は言ってない!)で知られていて、絢爛たる栄光から最後は処刑されるという悲劇の女王として有名な彼女。民衆の憎しみを募らせる原因を本人が作ってしまったこともありますが、調べたところいわゆる悪女ではなさそうでした。

中国史上唯一の女帝三大悪女といえば…?

今回紹介するのは、マリー・アントワネットとはいろんな意味で真逆のようなあの人!

中国三大悪女に名を連ね、中国4000年の歴史の中でも唯一の女帝、武則天(則天武后)です。

中国史には疎いワタシ。でも調べてみると出るわ出るわ、驚くようなエピソードの数々!その中でも彼女の人となりが感じられる部分を紹介していこうと思います。

中国史上唯一の女帝となった人の出自は意外にも傍流貴族。しかし身分は高くなくとも父親が材木商から地方の長官に成り上がった人物で、商才と出世欲、そして財産がしっかりあったことがわかります。

後妻の子だった照という少女は、幼い頃から地頭の良さが目立っていたのかもしれません。父親に溺愛され高度な教育を授けられたことが、後々に効いてくるのです…!

父親が亡くなると先妻の兄たちから厳しいいじめを受け辛い日々も過ごした照。でもここで泣き寝入りするタイプなら女帝まで成り上がれるわけもございません!

14歳の時、唐の皇帝、太宗の後宮に入ることになりました。これが照の運命を変え……ません、まだ!

太宗皇帝はすでに老齢で照は若く、また才人という身分の低い妃だったのでほとんど接触もなく過ごしていました。

運命の出会いから胸クソの残酷展開に…(怖)

しかし運命は太宗の死に際して転がり始めます。太宗の見舞いに来ていた皇太子の高宗と後宮でバッタリ…!!

なんと言っても武照は漆黒の髪に大きな切れ長の瞳、色白で薔薇色の頬に桃色の唇…そして、大きな胸の持ち主!異次元の美しさに青年高宗は一目惚れってわけ。

実はこの時から関係を持っていた…かどうかはわかりませんが、太宗の死後慣例に従い一応出家したことになった照(当時は尼になると額に焼印を押していたが、それをしてないんです〜なんか匂いますね〜)は尼寺にこもります。

そして不思議ととってもスムーズに1年後高宗の後宮に復帰するんですよ。あらまぁ。

高宗には皇后の王氏がいましたが蕭淑妃という寵妃がおり、このふたりが対立を極めていました。そこで皇后が、淑妃を追い出すために照を還俗させ引き出した、という説もあります。

が、ここから中国の歴史ドラマで見たことある残酷展開になります…。(高宗は照にゾッコンとなり淑妃を退けた皇后でしたが、後々自分の行動をめちゃくちゃ後悔しただろうなぁ…)

子育て世代の読者も多い中ちょっとにわかに信じがたい話ですが、照に女の子が生まれると大事件が起きます。照が不在の時に皇后が赤ちゃんを見にやってきて、皇后が帰った後に見ると亡くなっていた!というのです…。

照は高宗に、皇后に赤ちゃんを殺されたと訴えます。高宗もそれを信じ、皇后、そしてなぜか淑妃も一緒に罪人として地下牢に閉じ込めました。歴史あるある、親族もみんな流罪です。

これ、お察しの通り(察したくないが)照の自作自演の可能性が高いようなのです。皇后が来ることを知って別室に身を隠した照が、皇后が帰ってすぐに自分の産んだ子を殺した…なんて…信じられないけど、その後の照の行動を知ると「いや、この人それぐらい平気でやるな…」と思ってしまうのがまた怖い話なのです。

照を庇うわけではありませんが、現代日本の感覚で読むと身震いするようなこと、中国の後宮では日常茶飯事だったんですよね。嫉妬と欲望が渦巻く後宮では、妃たちが日夜寵愛を得るため=自分の立場の安定と親族の権力保持のために、殺るか殺られるかの緊迫した生活をしていたんです。毒が使われることも多く、お茶も気軽に飲めないシーン、よく見ますよね、ドラマやアニメで…。

だから皇帝の寵愛を独り占めしていた照は、皇后から狙われるリスクが最も高い人でもあったんです。攻撃は最大の防御というべきか、ある意味わが子(女児だったから…?)を利用することで当時の敵を蹴散らすのに最大限の威力を発動したのです。

そんなわけで照は、高宗をそそのかして重臣たちの反対を押しきり皇后として立后します。皇后になると投獄しておいた王氏と淑妃を拷問して惨殺…というところからも残虐さを感じられますね…(震)。

武則天の驚くべき能力とは?

病弱で政治にも積極的でない高宗は勝ち気で賢い照にとって好都合でした。皇后になると垂簾政治と言われる最高権力者を裏で操る形で政治の中心になっていきました。

彼女は徹底した密告・反対勢力の粛清(時には自分の身内ですら)による恐怖政治で国民を震え上がらせました。暗殺や拷問の逸話が数多く残っています…。

あまりの暴政に夫である高宗は廃后も画策しますが、事前に察知して防止し皇帝の権力奪還をさせませんでした。

高宗が崩御するとその皇太子を廃位させ、自分の立てた皇帝を使い傀儡政治を続けました。そしてついに690年、63歳にして自ら帝位につくのです。武周王朝の始まりです。

野心家で手段を選ばない血も涙もない人ってだけでなく(それだけでもうすごいけど)、彼女には驚くべき能力がありました。

それは、人材登用能力。とにかく有能な人材を見抜く力がすごい!

武照は自分の後見となる親族が有力貴族ではないことを鑑み、非貴族層から人材を積極的に採用するため科挙制を強化。才能があり、且つ忠誠心の強い者で周りを固めることで盤石な政治環境を作り上げました。

特に代表的な宰相、狄仁傑は長きに渡り武照の右腕として支えた人物で、武照の統治下で国内外の難題処理に成功したのは彼の手腕あってこそだったようです。

お墓まで独特って…すごく変わってない?

殺生しまくりだけど仏教を重んじ、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとして自分の顔に似せた仏像を造らせたり、妖僧や美青年を寵愛したりとやりたい放題やってますがー。

案外彼女の統治下では農民の反乱が一度も起きている記録がなく、安定していたというべきか、統治能力は高く、経済や文化の発展に寄与したともいえます。

そんな武照、705年に没しますが、そのお墓の墓誌に経歴や功績を一切刻ませない『無字碑』が有名です。『無字碑』が何を意味するかについては、歴史家や研究者の間でさまざまな議論が行われていますが「何も刻まない」という選択がかえって関心を呼び、武則天の生涯や彼女の影響力について議論を続けさせる原動力となっています。

武則天の『無字碑』は、彼女のカリスマ性や歴史的な意義をさらに際立たせていますが…やはりどちらかというと無慈悲……。

「日本」との関わりも実は深い!

日本との関わりは意外と濃厚な武照改め武則天。先に挙げた洛陽の盧舎那仏は、遣唐使がスケッチして持ち帰り、奈良の大仏の元となっています。

数々の海外との戦争にも勝利を挙げた中に、倭国として百済に助太刀した白村江の戦いもあったり。

そしてなんと、実は『日本(にっぽん)』という国の呼び方もまた遣唐使の進言に対し、改名や改元大好きな武則天が承諾したことで始まったんですって!!

武則天は文字への興味も非常に高く、『則天文字』も考案しています。日本でお馴染み、水戸黄門の光圀公の『圀』がここで武則天につながるとは…!

と、意外に日本との関係も深い中国史上唯一そして最恐の女帝武則天ですが、やはりこれだけの結果を出す人って、とにかく「持ってるなぁ〜!」という感想でした。

美人で、人を見る目があって、有能な人を使いこなせる本人も頭の切れるスーパーウーマン。目的を達成するためには残虐な手段を取るサイコパス的な行動もありますが、国や時代背景を考えたら当時の権力抗争を勝ち抜くには必要だったのかもしれません。

さすが中国唯一の女帝だけあって、ものすごい濃いキャラの武則天。憧れるか?と言われたら…正直怖すぎる!と思ってしまうのですが、実力主義で女性の地位向上にも貢献した人です。有能な人を見抜いて組織化する能力って、一人でキャパ以上の仕事を抱え込んでアップアップしがちなワタシには少しでも必要だなと思ったりも。

しかし、この時代に63歳で即位(亡くなったのは80歳)ってすごくないですか…? 生まれつきものすごいパワーを「持ってるなぁ〜!」の人で、ものすごいキャラだったのは…間違いないです!

(tomekko)

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