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何も起きない…それなのになぜ話題に? 春の“NHKドラマ”が屈指の良作だった

  • 2025.5.29

夢見た人生をおくれることは素晴らしい。でも、誰もが思い描いたように生きられるわけじゃない。夢破れて「こんなはずじゃなかった」という人生をおくることになったとしても、悪くないと思える生き方ができることもまた素晴らしい。

NHKドラマ10で放送され話題になったテレビドラマ『しあわせは食べて寝て待て』は、そんな第二の人生を歩もうとする女性をあたたかく見つめた作品だ。本作では、膠原病(シェーグレン症候群)という免疫系の難病を患った女性が、団地に引っ越し、食を大事にする人々と出会い、人生を見つめなおす物語が描かれる。なにかと世の中の流れが早い昨今、ゆっくりと生きることの良さを謳いあげる内容となっており、現代社会が失いつつあるある種の豊かさが詰まった作品となっている。

バリキャリだった女性が、働けなくなり団地と薬膳に出会う

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『しあわせは食べて寝て待て』第8話より(C)NHK

主人公の麦巻さとこ(桜井ユキ)は自分でマンションを買うことを目標にしゃかりきに働いていた。しかし、ある日、彼女は膠原病という指定難病にかかってしまう。この難病は、目の乾き(ドライアイ)や口の渇き(ドライマウス)が代表的な症状で、視力障害や会話・食事の困難など、日常生活に大きな支障をきたすことがある。また、全身症状として疲労感や関節痛、頭痛、微熱、集中力の低下、抑うつ傾向なども見られ、QOL(生活の質)を著しく損なう場合もある。現状、治療ができない病気とされていて、つまり、これにかかるとハードワークはできなくなる。

さとこは、夢をあきらめ今では週4日のパートタイム勤務を余儀なくされている。その稼ぎでは今の部屋の家賃もままならないため、安い団地への引っ越しを検討するさとこだが、内見中にひどい頭痛に悩まされてしまう。そんな時、団地の大家・美山鈴(加賀まりこ)は、さとこに大根の丸かじりをすすめてくる。怪訝に思いつつも大根をかじってみるとさとこの頭痛は収まった。そして、鈴と一緒に暮らす不思議な青年・羽白司(宮沢氷魚)からも薬膳料理について教わり、食生活を見直し体調を整えることを覚えていく。

そんなちょっとした出会いから団地に引っ越すことを決めたさとこが、薬膳料理と人々との出会いを通じて人生を再生させていく日々を淡々と描いているのが本作の特徴だ。なにも大きな事件が起きるわけではない。しかし、免疫系の疾患を抱えるさとこにとっては、日々の生活のちょっとしたことでも重くのしかかる。それらを人の助けと美味しい食事で乗り越えていく様をハートウォーミングに見つめた作品だ。

原作者の実体験も反映された物語

本作は水凪トリの同名マンガを原作にしている。水凪氏も膠原病を抱えており、物語には本人の実体験や実感も反映されている。漫画家としてハードワークしていたが、病気のために働き方を見つめなおす必要に迫られたことが本作の執筆に反映されている。

本作は主人公のさとこに無理をさせない展開が魅力的だ。限界を乗り越え頑張る物語は世の中にたくさんあるが、さとこはそういう限界を乗り越えられない病気にかかっているわけで、そのことで悩む人物だ。作中に「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が登場するが、これは不確実なものや未解決のものを受容する能力のことで、急いで答えを出さずにじっくりと待つ姿勢を許容する力のことを指す。本作の重要なメッセージの一つと言えるが、無理をせず、じっくりと自分にできることと向き合うことが称揚される展開となっている。

さとこが体調不良と向きいながら日々の生活をやりくりする描写のリアリティは、原作者自身の実体験が反映されているのだろう。薬膳を万能のものとして描くことなく、体調を整えるための一助として描く姿勢が徹底されており、バランス感覚も優れている。

団地コミュニティのあたたかさも魅力

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『しあわせは食べて寝て待て』第7話より(C)NHK

本作はさとこが団地で出会う人々との交流を中心に物語が構成される。薬膳料理に詳しい司と一緒に暮らす鈴、受験に悩む目白弓(中山ひなの)や引きこもりの青年・八つ頭仁志(西山潤)、一人ぐらしでスーパーのセール品でイタリア料理を作る趣味を持つウズラさん(宮崎美子)など様々な人との出会いを通じて、さとこの人生が潤っていくプロセスが丁寧に描かれている。そんな団地のコミュニティの暖かさも本作の大きな魅力となっている。

司や鈴をはじめとする団地のご近所さんと食事のおすそ分けをする日常、そのもらった食材でどんな美味しい薬膳料理を作ろうかと考える時間がさとこにとってかけがえのないものとなっていく。こうした出会いが、満足に働けなくなってしまって自己肯定感が低くなってしまったさとこの、心の再生にとって重要なものとなっていく。

かつては仕事優先で食事に気を使っていなかったさとこは、自分がこのような丁寧な暮らしをするようになるとは思ってもみなかっただろう。これはかつての彼女が夢見た生活ではないが、こんな人生も悪くないと心から思えるようになっていく。そのように人生がゆっくりと再生していく過程をじっくりと急ぐことなく見せていく。何も劇的なことは起こらないのに、見ていて不思議と涙が零れ落ちてしまう。こんな生き方も悪くないと素直に思えてくるのだ。

夢見たマンションではないけれど、古い団地暮らしも悪くない

最新の7話と8話では、大家の鈴が部屋を譲ると言い出すことで、さとこがこのままずっとこの団地に暮らし続けるかどうか悩む姿が描かれる。古い団地はあちこち痛んでおり、定期的な大規模修繕だけでなく全面的な建て直しも必要になりそうだ。いざ住み続けるとなると、そうしたメンテナンスのことも考えないといけない。一度は移住も検討したさとこだが、団地に住み続けることもまた新しい挑戦だと考えるようになり、部屋の譲渡を受け入れることにする決断が描かれる。

そのような生き方は、マンションを買うことを目標にしていた頃には考えもしなかった生き方だ。高級マンションに一人で暮らすことを夢見ていたさとこが、ひょんなことから古い団地を手に入れることになった。だからといって、決して彼女の人生のグレードが下がったわけではない。本当の意味での豊かさでは、むしろ負けていないのだ。

夢見た人生じゃなかったとしても、豊かな人生は生きられる。ゆっくりとていねいに、ささいな出会いと美味しく身体に良い料理に人生の豊かさが詰まっていることを教えてくれる良作だ。


ドラマ10『しあわせは食べて寝て待て』 毎週火曜よる10時放送
NHKプラスで見逃し配信中

ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi