2023年12月、M&Aベストパートナーズ(以下、MABP)陸上部のプレイングマネージャーに就任した神野大地選手。近年はオリンピック出場を目指しマラソンに取り組んできましたが、2023年10月に行われたパリ五輪のマラソン日本代表選考会のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)では56位。これからの目標やアスリートとしてのキャリアに対する考え方を聞きました。
原点回帰で駅伝の舞台へ
ーー神野選手はMABP陸上部の選手兼監督。選手としての目標を教えてください。
神野 もう一度、駅伝で活躍したいです。
ここ半年間、正直あまりいい練習はできていません。2023年10月のMGC(パリ五輪のマラソン選考会)前の怪我をまだ引きずっているような感じで。
ただ、僕たちが最初に出場するニューイヤー駅伝の予選会は2025年11月なので、あと1年半くらい時間があります。そこまでには力を戻していきたいです。
MGCでは自分の走りができずオリンピックには届きませんでしたが、このままじゃ終われない。まだあきらめきれないし、引退という決断はしたくないと思ったんです。
僕は青山学院時代に駅伝で活躍して、実業団2年間でも駅伝でそれなりの結果を出せた。自分の原点は駅伝です。もう一度、駅伝という舞台で輝くことが今の目標ですね。
ーー近年はオリンピック出場を目指してマラソンに取り組んできましたが、これからは駅伝に活躍の場を移すということですね。
神野 2021年の東京と2024年のパリの2回、本気でオリンピックを目指して挑戦しました。その取り組みは後悔していませんが、自分の力が及ばなかったと受け止めています。
大学卒業後はとにかくオリンピック、オリンピックという思いで走り続けてきました。ただ、理想と現実のギャップが年々大きくなっていたことも確かで。マラソンはいったんやりきったかなと思っています。
挑戦はリスクではない
ーー神野選手は箱根駅伝で活躍して以来、陸上界の大きな注目を受けてきたと思います。社会人になって以降も周囲から「3代目・山の神」として期待されることに対して、プレッシャーを感じていたのでしょうか?
神野 いえ、プレッシャーはあまり気になりませんでした。むしろ大学時代の活躍がなければ、さまざまな仕事や今回の新しいチャンスも得られなかったと思うので。箱根駅伝での経験があったからこそ、今の自分の人生がありますし、今後もその経験は生かしていきたいです。
プレッシャーに関して付け加えると、プレッシャーに負けたらそこで終わりというか。無名の状態で結果を出すことと、注目された中で結果を出すことの難しさは全然違うので。
挑戦をすれば少なからずプレッシャーはかかります。そういう意味では、僕は比較的早い段階で注目を浴びる環境に身をおいて競技に取り組めたので、とてもありがたかったなと思っています。
ーー神野さんは大学時代からさまざまな挑戦を続けてきたと思います。リスクのともなう挑戦をなぜできるのでしょうか?
神野 うーん。リスクとは全く思っていないんですよね。僕は小さいころから自分のやりたいことに果敢にチャレンジしてきたタイプなんですよ。
中学では全然速くなかったのに、高校はスポーツ名門校の中京大中京に飛び込みました。高校2年の夏に原監督と出会って「君は絶対に速くなる」と言われて、青山学院への進学を決めて。当時は箱根駅伝に出られるようなレベルではなかったんですけど。やる前は難しそうに思えても、努力で乗り越える。そんな経験を何度もしてきました。
プロに転向したときも周囲から「すごい決断だね」と言われましたが、別にそんなことないというか。絶対これ楽しいでしょ、やりがいあるでしょと。プラスの側面に目を向けちゃってるんですよね。
まあ、だいたい実際にやり始めてから「結構大変だな」と思うんですけど(笑)。でもそういう経験も10年後くらいには「あんなこともあったよね」と笑って話せるようにできたらいいなと思います。
誰もやったことのないことを成し遂げる
ーー今年で31歳になりますが、選手としてのキャリアはどのように考えていますか。
神野 何歳までとか、あと何年とかはあまり考えていません。これまでも目標を一つひとつクリアして道を切り拓いてきたので。
大学に入学したときは、将来プロになるなんて全く考えていませんでした。1回でも駅伝を走りたいという思いだけで、毎日死に物狂いで練習して。2年生で箱根に出場した後は、箱根駅伝の優勝が目標になり、3、4年生で連覇することができました。
今はMABP陸上部の立ち上げを成功させることだけを考えています。選手としてはモチベーションを保てるかぎり、体がついていくかぎり、自分自身の力を信じられるかぎりは走り続けていきたいです。
ーーMABPではプレイングマネージャーの役割を担います。選手兼監督に挑戦する意義を聞かせてください。
神野 MABPからプレイングマネージャーを依頼していただいたので、まずはその期待に応えたい気持ちが強いです。
それに加えて、当たり前のことではなく、誰もやったことのないことを成し遂げて名を残していきたいという思いがあります。ニューイヤー駅伝で監督をしながら選手としても走るのは前例がないはずなので。
監督として指導しながら選手としても走る。身をもって陸上界に新しい選択肢を示していきたいです。
取材・文
岡村幸治
1994年生まれ。スポーツ新聞社で野球記者として巨人や高校野球などを取材。2021年に独立し、アスリートや経営者などにインタビューを行っている。海外旅行が好きで、2023年には世界一周の旅に出た。