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【打率.316/42本塁打/108打点】史上最年少でセ・リーグMVPに輝き「メークドラマ」の原動力となったレジェンド

  • 2024.5.20
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【問題】2000年シーズンにこの成績を残した選手は誰?

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日本プロ野球では、学生や社会人時代に活躍した選手がルーキーイヤーでも活躍することは非常に困難です。現に、2024年に注目の的となったDeNA・渡会隆輝選手も序盤の調子を維持できずに2軍へと降格させられてしまうほど厳しい世界なのです。一方で、高卒から新記録を叩き出し、瞬く間にレジェンドと並ぶ記録を樹立したスーパープレイヤーも存在しているのが面白いところ。

では、日本で3度の本塁打王に輝き、MLBでも通用するバッターとして活躍した選手をご存知でしょうか?

今回は、NPBとMLBの両リーグで、ホームランを量産した選手をテーマにクイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1992年にプロ球団入りしました。

・NPB通算で、打点王と本塁打王の二冠を3回達成します。

・日米通算507本塁打を記録しました。

・高校時代の愛称は「怪獣」

正解は…

松井秀喜選手でした!

こちらは、2000年シーズンの成績です。

星稜高等学校から、1992年にドラフト1位指名で読売ジャイアンツに入団します。1年目の1993年シーズンは、プロの厳しい環境に苦しみながらも、セ・リーグ高卒新記録の11本塁打を記録。2年目の1994年シーズンには、20本塁打を記録して、チームのリーグ優勝と日本一に大きく貢献します。1995年は、22本塁打を放ち、自身初のベストナインに選出されました。

1996年、38本塁打を記録し、最大11.5ゲーム差をひっくり返す「メークドラマ」の原動力として、チームのリーグ優勝に貢献すると、当時史上最年少でセ・リーグMVPに輝きます。また、22歳での38本塁打は、王貞治選手と並ぶ年齢別最多本塁打タイ記録でした。

2000年からは四番打者を務め、打率.316、42本塁打、108打点を記録。本塁打王と打点王の二冠を達成し、シーズンMVPとゴールデングラブ賞に選出されました。2001年は、自身初の首位打者を獲得。2002年には、史上8人目となる年間50本塁打を記録します。

2002年シーズン終了後は、MLBニューヨーク・ヤンキースに移籍します。移籍初年度の2003年は、打率.287、16本塁打、106打点を記録。2004年は、後半から四番打者に定着し、最終的に31本塁打を放ちます。MLBでの31本塁打は、当時の日本人史上最多記録でした。

2007年には、日米通算2000本安打を達成し、名球界入りを果たします。2009年は指名打者として出場。全米一を決めるワールドシリーズでは、13打数8安打3本塁打の活躍で、日本人選手初のワールドシリーズMVPに輝きました。

その後、MLBの3球団を渡り歩き、2012年シーズン限りで現役を引退します。引退後の2013年には、読売ジャイアンツ時代の恩師である長嶋茂雄監督とともに、国民栄誉賞を受賞しました。規格外のパワーから「ゴジラ」の愛称で親しまれ、日米通算507本塁打を記録した、伝説のスラッガーです。


※情報は5月9日時点のものです。

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