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「平成のエース・上原浩治」の前、「奪三振王・木田優夫」の後に、巨人の"背番号19"を背負った選手は誰?

  • 2024.5.5
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TRILL作成

背番号「19」は、データを駆使した「ID野球」を確立させた、プロ野球界のレジェンドである野村克也選手が着けた番号として知られています。一方で、読売ジャイアンツにおいては、投手の系譜として馴染みのある番号です。

1993年から1997年に背番号「19」を着けた木田優夫選手は最多奪三振を獲得したこともある名投手。1999年から2008年、2019年に着けた上原浩治選手は、プロ初年度から20勝を挙げ、沢村賞にも輝くなど「平成の巨人のエース」として、歴史に名を残す伝説の投手です。また、どちらもMLBに挑戦しているという共通点も。

では、木田優夫選手の後任、上原浩治選手の前任として、1998年に19番を背負っていた人物は一体誰でしょうか?ぜひ考えてみてください!

日本人離れした長身の抑え投手

金石昭人選手でした!

PL学園高等学校から、1978年にドラフト外で広島東洋カープに入団し、背番号「47」を着用します。1985年シーズンから一軍に定着すると、1986年シーズンには12勝を記録してチームのリーグ制覇に貢献します。

1992年シーズンから日本ハムファイターズに活躍の場を移し、背番号は「23」を着用。移籍初年度から、自己最多となるシーズン14勝を記録すると、1993年シーズンからは抑えに転向して活躍を見せます。

1997年には読売ジャイアンツへ移籍し、背番号「19」を着用します。中継ぎとして出場しますが、惜しくも勝ち星を挙げることができず、1998年10月に引退を表明。

日本人離れした197センチの長身から放たれるフォークボールを武器に、通算72勝80セーブを記録しました。

木田優夫選手(1993~1997)から、金田昭人選手(1998)、上原浩治選手(1999~2008)に受け継がれていった背番号「19」。2013年から2018年に着けた菅野智之選手もエースとして活躍しました。背番号「19」は、今後も投手の系譜として受け継がれていくのでしょうか?

読売ジャイアンツの主な背番号19の選手

・小林繁(1974~1978)

・木田優夫(1993~1997)

・金田昭人(1998)

・上原浩治(1999~2008、2019)

・菅野智之(2013~2018)


※2023年5月2日時点での情報です
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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