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「阪神一筋17年・和田豊」の後、「鉄人・金本知憲」の前に"背番号6"を背負ったこの選手は一体誰?

  • 2024.5.3
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プロ野球における背番号「6」は、古くから豪打の系譜として知られています。プロ野球草創期に、阪神タイガースで「6」を背負った景浦将選手は、読売ジャイアンツの伝説的投手である、沢村栄治選手のライバルでした。この二つの球団の戦いが伝統の一戦とされているのは、彼らの熱いライバル対決が起源といえます。

阪神タイガースにおいて、背番号「6」は、一体どんな選手に受け継がれていったのでしょうか?

1985年から2001年まで「6」を着けた和田豊選手は、阪神タイガース一筋で通算1500安打を達成した名選手。2003年から2012年まで着用した金本知憲選手は、3番や4番として、2003年、2005年のリーグ優勝に貢献し、連続試合出場の世界記録を持つ伝説の選手です。

では、和田豊選手の後任、金本知憲選手の前任として、2002年に6番を背負っていた人物は一体だれでしょうか?ぜひ考えてみてください!

「トラのタイソン」と呼ばれた強打者

デリック・ホワイト選手でした!

MLBやメキシカンリーグなどを経て、2002年に阪神タイガースに加入します。入団当初は四番打者を務めますが、手首の不具合によりシーズン成績は打率.227、7本塁打と21打点を記録し、NPB入り1年という短い期間で引退しました。

ハッスルプレーが特徴で、ダイビングキャッチを果敢に行う姿が印象的でした。また、チームへの高い献身性を持ち合わせており、当時指導していた田渕幸一コーチは、骨折していながらもベンチに入って声を出す姿に感動したと称えています。

デリック・ホワイト選手がつけていた背番号「6」は、阪神タイガース一筋だった和田豊選手(1985~2001)からデリックホワイト選手(2002)、金本知憲選手(2003~2012)、へとその系譜が受け継がれていきました。

阪神タイガースの主な背番号2の選手

・景浦将(1936~1939)

・藤田平(1966~1984)

・和田豊(1985~2001)

デリック・ホワイト(2002)

・金本知憲(2003~2012)


※2024年4月26日時点での情報です。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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