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「阿部慎之助」の前、「吉岡雄二」の後の、巨人の"背番号10"を背負った選手って覚えてる?

  • 2024.4.30
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日本プロ野球で最多、3球団で永久欠番となっている背番号「10」。読売ジャイアンツでは、通算3085安打を放った張本勲選手が背負った番号として知られています。その後、どんな選手に受け継がれていったのでしょうか?

2001年から2019年まで「10」を着けた阿部慎之助選手は、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞を4回獲得し、長年に渡りチームを牽引し、2024年からは監督に就任。1994年〜1996年は、巨人時代では出番が少なかったものの、移籍した近鉄バファローズでは、中村紀洋、タフィ・ローズらと強打のいてまえ打線を形成した、吉岡雄二選手

では、阿部慎之助選手の前任として、1997年から1999年まで背番号「10」を着けた選手は一体誰でしょうか?ぜひ考えてみてください!

読売ジャイアンツと阪神タイガース両球団で4番打者を務めた史上初の選手

広澤克実選手でした!

栃木県小山高等学校から明治大学に進学すると、史上2人目の2年連続首位打者を獲得します。また、1984年にはロサンゼルスオリンピックの日本代表として、金メダル獲得に貢献しました。

同年にドラフト1位でヤクルトスワローズに入団し、2度のリーグ優勝と1度の日本一に貢献すると、1994年にFA権を行使して読売ジャイアンツへ移籍し、四番打者として活躍しました。

2000年に阪神タイガースへ移籍後も、またも四番打者として活躍し、読売ジャイアンツと阪神タイガースの両球団で四番打者を務めた史上初の選手となりました。

広澤克実選手(1997~1999)から、阿部慎之助選手(2001~2019)、ジャスティン・スモーク選手(2021)、中田翔選手選手(2021~2023)に受け継がれている背番号「10」。四番打者の多いこの番号は、今後も強打者へ受け継がれていくのかもしれません。

読売ジャイアンツの主な背番号10の選手

・張本勲(1976~1979)

・吉岡雄二(1994~1996)

・広澤克実(1997~1999)

・阿部慎之助(2001~2019)

・中田翔(2021~2023)


※2023年4月25日時点での情報です
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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