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「長野久義」「二岡智宏」の前に、巨人の"背番号7"を背負った選手って覚えてる?

  • 2024.4.24
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読売ジャイアンツのV9達成の立役者、柴田勲選手が着けた背番号「7」。その後どんな選手に受け継がれたか、ご存知でしょうか?

1999年から2008年まで「7」を着け、右に打つことに長けているミスター右中間こと二岡智宏選手は、NPB史上初の2打席連続満塁本塁打達成者。2010年以降は、入団以降、新人王(2010)、首位打者(2011)、最多安打(2012)、さらに3度のベストナインに輝き、瞬く間にチームの顔になった、現在、巨人の最年長選手の長野久義選手が着用しています。

では、二岡智宏選手の前任として、1986年から1998年まで背番号「7」を付けた選手は一体誰でしょうか?ぜひ考えてみてください!

「交通事故レベル」の大怪我から復帰した不屈の強打者

吉村禎章選手でした!

PL学園高等学校で甲子園優勝を飾ると、1981年にドラフト3位で指名され、読売ジャイアンツに入団します。1年目から一軍として出場し、1983年から6年連続で打率3割以上を記録。しかし、1988年に左ひざの靭帯を3本断裂する大怪我を負い、長いリハビリ生活を余儀なくされます。過酷なリハビリを経て復活すると、1990年には打率3割を超える活躍を見せ、リーグ優勝に貢献しました。

大怪我に見舞われながらも、通算1349試合に出場し、964安打、149本塁打、打率.296という輝かしい成績を残した吉村禎章選手。怪我がなければ、どれほどの成績を残していたのでしょうか。

吉村禎章選手(1986~1998)から、二岡智宏選手(1999~2008)長野久義選手(2010~2018、2023~現在)に受け継がれている背番号「7」。今後も強打者の系譜として受け継がれていくのでしょう。

読売ジャイアンツの主な背番号8の選手

・柴田勲(1970~1981)

・スミス・レジ―(1983~1984)

・吉村禎章(1986~1998)

・二岡智宏(1999~2008)

・長野久義(2010~2018、2023~現在)


※2023年4月15日時点での情報です。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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