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「セーブ数記録保持者・西村健太郎」の後、「20歳で開幕投手・宮國椋丞」の前に、巨人の背番号「30」を着けた選手はダレ?

  • 2024.5.14
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TRILL作成

日本プロ野球の草創期は、背番号が30番までしかなかったため、監督が着用することが多かった「30」。読売ジャイアンツにとっては、投手五冠を達成した伝説の投手・江川卓選手が着用した番号としても知られています。

2007年から2009年まで「30」を着けた西村健太朗選手は、先発、抑え、中継ぎと、幅広く活躍し、最多セーブも獲得した名投手。2014年に記録した42セーブは、現在も巨人の歴代最多シーズンセーブ数です。2011年から2019年まで着用した宮國椋丞選手は、桑田真澄選手以来となる、高卒2年目で完封勝利を収め、2013年の20歳での開幕投手は、これも桑田真澄選手以来の記録でした。

では、西村健太郎選手の後任、宮國椋丞選手の前任として、2010年に30番を背負った人物は一体誰でしょうか?

ぜひ考えてみてください!

アメリカでも活躍した劇場型投手

小林雅英選手でした!

山梨県立都留高等学校から、日本体育大学へ進学し、社会人野球チームの東京ガスを経て、1999年にドラフト1位で指名され、千葉ロッテマリーンズへ入団しました。入団当初の背番号は「30」。2000年シーズンから中継ぎ投手を任され、2001年シーズンにはプロ野球新記録となる6日間連続セーブを記録。2005年シーズンには最多セーブに輝きました。

2007年シーズン後、FA権を行使して、MLBのクリーブランド・インディアンスに移籍します。背番号は「30」を着用。移籍初年度から中継ぎとして活躍します。2009年に帰国し、読売ジャイアンツに加入すると、背番号はそのまま「30」を着けました。

150キロ台のストレートと、高速シュート、スライダーが武器。登板する際はピンチを背負うことが多く、ファンをハラハラさせながらも、最終的にはしっかりと抑えるため、「劇場型」と称されました。

西村健太郎選手(2007~2009)から、小林雅英選手(2010)、宮國椋丞選手(2011~2019)に受け継がれていった背番号「30」。今後も名投手の系譜として受け継がれていくのでしょうか?

読売ジャイアンツの主な背番号30の選手

・江川卓(1979~1987)

・橋本清(1988~1998)

・西村健太朗(2007~2009)

・小林雅英(2010)

・宮國椋丞(2011~2019)


※2023年5月7日時点での情報です
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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