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「伝説の右打者・落合博満」の後、「バントの神様・川相昌弘」の前に、巨人の背番号「6」を着けた選手はダレ?

  • 2024.5.12
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読売ジャイアンツにとってプロ野球で初めて3度も三冠王を獲得した、名プレーヤー落合博満選手が着けた背番号「6」はスペシャルナンバーです。2年で読売ジャイアンツを去ったこともあり、永久欠番とはなりませんでした。

最も優れた右打者として知られる落合博満選手が、1995年から1996年にかけて着けた背番号「6」。2000年から2003年にかけては、世界記録533本の犠牲バントを記録した、川相昌弘選手が着用。2009年から「6」を着けている坂本勇人選手は、通算2000本安打を達成。

落合博満選手の後任、川相昌弘選手の前任として、1997年から1999年にかけて「6」を背負った人物は一体誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ここぞという場面で本塁打を放つ勝負師

石井浩郎選手でした!

秋田県立秋田高等学校から早稲田大学に進学し、社会人野球チームのプリンスホテル硬式野球部を経て、1989年にドラフト3位で指名され、近鉄バファローズに入団し、背番号は「3」を着用します。1990年の入団1年目には7月にレギュラーとして確立。パ・リーグの優秀新人賞を獲得する活躍を見せます。1994年シーズンには、33本塁打、111打点を記録し、打点王に輝きました。

1997年に読売ジャイアンツへ移籍後背番号「6」に。1998年シーズンに、史上8人目となる延長での代打満塁本塁打を記録するなど、代打として印象的な活躍を見せました。

石井浩郎選手が着けていた背番号「6」は、プロ野球史最高の右打者である落合博満選手(1995~1996)から、石井浩郎選手(1997~1999)、川相昌弘選手(2000~2003)、そして、小久保裕紀選手、小坂誠選手を経て、現在ジャイアンツを象徴する選手である、坂本勇人選手(2009~現在)へと受け継がれていきます。打者としての特徴は違えど、出色の成績を残した選手に受け継がれてきた背番号「6」。今後はどんな選手にその系譜が受け継がれていくのか、はたまた坂本選手が永久欠番とするのか!?非常に楽しみです!

読売ジャイアンツの主な背番号6の選手

・落合博満(1995~1996)

・石井浩郎(1997~1999)

・川相昌弘(2000~2003)

・小久保裕紀(2004~2006)

・小坂誠(2007~2008)

・坂本勇人(2009~現在)


※2024年5月7日時点での情報です。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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