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【53→27→5→22→35→32→27】この歴代背番号はだれ?「メジャーに一番近い捕手」と言われた“レジェンド”であり“名監督“

  • 2024.4.28
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TRILL作成

【問題】この歴代背番号はだれ?

プロ野球選手の中には、一つの球団で同じ背番号を付け続ける選手もいれば、多くの球団を渡り歩き、さまざまな背番号を着用する選手もいます。

今回ご紹介する選手は、4つの球団を渡り歩き、6つの背番号を着用しました。背番号や球団にとらわれずに、長年活躍を続けた選手です。

「メジャーリーグに一番近い捕手」と称され、指導者として正力賞を獲得したこの選手が誰だかわかるでしょうか?

ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1986年に阪急ブレーブスに入団しました。    

・入団当初の背番号は「53」。

・愛称は「サメ」。

・2022年に、監督として正力賞を獲得。

正解は...

中嶋聡選手でした!

1969年生まれ。秋田県立鷹巣農林高等学校から、1986年にドラフト3位で阪急ブレーブスに入団し、背番号は「53」を着用しました。1989年に、球団名がオリックスブレーブスに変わると、自身の背番号も「27」に変更。同年シーズンから正捕手として活躍し、四番打者も務めるようになります。1995年シーズンには、ノーヒットノーランを達成するなど、11年ぶりのパ・リーグ制覇に大きく貢献しました。

1997年シーズンオフに、FA宣言をしてメジャーリーグ挑戦を表明しますが、条件面が合わず断念。その後、西武ライオンズに移籍し、背番号は「5」を着用。2番手捕手としてチームを支えます。1999年シーズンからは、当時若手だった松坂大輔選手の専任捕手を務め、出場機会を増やします。

横浜ベイスターズを経て、2004年に北海道日本ハムファイターズに移籍すると、背番号を「32」に。2006年シーズンには、捕手としてチーム最多の79試合に出場し、チームのリーグ制覇と日本一に大きく貢献しました。2007年シーズンからは、選手兼バッテリーコーチを務めます。また、背番号は2011年よりオリックスブレーブス時代に着用した「27」に戻します。

中嶋選手は29年間のプロのキャリアの中で、400人以上の投手からボールを受けてきた経験を元に「伸びてくるやつというのは、プロセスがしっかりしている」という名言を残しました。その背景として、通算284勝を挙げたサブマリンの山田久志投手や佐藤義則投手から学んで経験を積んだ後、若き日の松坂大輔投手やダルビッシュ有投手などのボールも受けました。よく、捕手は投手の女房役とも言われますが、その言葉には我々の知らない深い意味があるのです。

成績の一時的な波は、運に左右されることがあります。しかし、プロ野球は積み重ねや平均値を競う競技であり、勢いよりもプロセスが重要であり、その理解がある者が力を伸ばすことができることからこの名言が生まれました。

2015年に現役を引退し、オリックスバファローズの二軍監督を経て、2021年シーズンから一軍監督に就任。パ・リーグ3連覇の輝かしい功績を残しています。


※情報は4月25日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」「投手」で統一しています。

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