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「くせ者・元木」の後、「ガッツ・小笠原」の前に、"背番号2"を背負った選手って覚えてる?

  • 2024.4.16
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読売ジャイアンツにとって、背番号「2」は、王貞治選手の「1」と、長嶋茂雄選手の「3」という、ONの永久欠番に挟まれた番号であり、二人の国民的スターが着けた「1」と「3」と比較すると、どうしても印象が薄い番号に思えるかもしれません。

しかし、知名度こそ王貞治選手や長嶋茂雄選手に及ばないものの、背番号「2」には確かな存在感を示した名選手たちが名を連ねています。

たとえば、1994年から2005年まで「2」を着けた元木大介選手はミスタープロ野球こと長嶋茂雄選手にクセ物と言われた野球巧者であり、2007年から2013年の小笠原道大選手も出色の成績を収めました。

では、元木大介選手の後任、小笠原道大選手の前任として、2006年に2番を背負っていた人物は一体だれでしょうか?ぜひ考えてみてください!

「平成の牛若丸」と呼ばれた守備の名手

小坂 誠選手でした!

宮城県柴田高等学校から、社会人野球チームのJR東日本東北を経て、1996年にドラフト5位で指名され、千葉ロッテマリーンズに入団しました。ルーキーイヤーながら、開幕から遊撃手のスタメンを勝ち取り、3、4月に月間MVPを獲得。レギュラーに定着し、同年の新人王に輝きました。

「平成の牛若丸」「小坂ゾーン」などと称された驚異的な守備範囲は、盗塁王を2度獲得するほどの俊足を駆使して即座に打球に追いつくことでチームを牽引しました。2005年シーズンオフに読売ジャイアンツに移籍し、堅守の内野手のイメージが強い背番号「2」を着けました。

また、遊撃手として守備機会が多い中、リーグ最高守備率を計5回も記録するなど、守備の硬さには定評がありました。

小坂選手がつけていた背番号「2」は、読売ジャイアンツ一筋だった元木大介選手(1994~2005)から小坂誠選手(2006)、小笠原道大選手(2007~2013)、そして、堅守で知られる井端弘和選手(2014~2015)へとその系譜が受け継がれていきました。

遊撃手として、ゴールデングラブ賞を4度受賞している小坂誠選手。読売ジャイアンツで「2」を着けたのは1年間でしたが、堅守の内野手という色合いをより一層強くした選手でした。

読売ジャイアンツの主な背番号2の選手

・広岡達朗(1954~1966)

・松本匡史(1980~1987)

・元木大介(1994~2005)

・小笠原道大(2007~2013)

・陽岱鋼(2017~2021)


※2023年4月15日時点での情報です。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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