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【0→1→49→12→3→2】この歴代背番号はだれ?みんなモノマネしたことがある!?独特な打撃フォームで日本記録を樹立した名選手

  • 2024.4.13

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

試合で活躍することで、選手のもう一つの“顔”とも言うべき存在に成長していく背番号。やがては次世代の選手へと受け継がれ、新たな物語が紡がれていきます。

では、中日ドラゴンズ、横浜ベイスターズ、埼玉西武ライオンズの3球団を渡り歩き、0→1→49→12→3→2の背番号を着けたこの選手がだれだかわかるでしょうか?「ガニマタ打法」で活躍した名選手です。

ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1989年に中日ドラゴンズに入団しました。    

・入団当初は背番号「0」を着用。

・1992年シーズンから背番号「1」に。

・愛称は「タネタネ」。

正解は...

種田仁 選手でした!

1971年生まれ。

上宮高等学校から、1989年にドラフト6位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。背番号は「0」。一桁の背番号であることから、球団から高く評価されていたことがわかります。高卒2年目の1991年シーズンから二塁手のレギュラーに定着し、107試合に出場。打率.272をマークします。

1992年シーズンに背番号を「1」に変え、二塁手から遊撃手へコンバート。1993年シーズンに初めて規定打席に到達し、10本塁打を放ち、レギュラーを掴みかけましたが、怪我の影響で不調になり、出場機会が得られない時期が続きました。1998年シーズンは、新たに入団してきた福留孝介選手に「1」を譲り、背番号「49」に。苦悩の日々が続きましたが、2000年シーズンに、左足を大きく開く「ガニマタ打法」を考案し、代打で11打席連続出塁の日本記録を樹立。打率.314、7本塁打、31打点の好成績を残しました。

2001年シーズン途中で横浜ベイスターズへ移籍。新天地では背番号「12」を着け、複数のポジションをこなせるユーティリティープレイヤーとして活躍します。ベイスターズへの移籍以降は、安定した出場機会を得ることができ、2004年シーズンからは背番号「3」を着け、打率.300、2005年シーズンは打率.310と活躍しました。

2008年シーズンに在籍した埼玉西武ライオンズでは背番号「2」を背負い、この年限りで現役を引退しました。


※情報は4月5日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」「投手」で統一しています。

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