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【63→5→1→63】この歴代背番号はだれ?「努力は一生、本番は一回、チャンスは一瞬」という名言を残した天性のエンターテイナー

  • 2024.4.10

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球選手にとって、プロ入り後に初めて着けた背番号は思い入れがあるもの。移籍などで背番号が変わっても、「初めて着けた背番号」を大切に思い続ける選手もいます。

たとえば、今回紹介する選手も、現役引退の日に1日だけ、背番号をプロ入り当初のものに戻しました。それだけその番号に思い入れがあったのです。

ファンサービスを徹底し、プレーはもちろん、試合前のパフォーマンスでもファンを魅了したこの選手がだれだかわかるでしょうか?

ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1989年に阪神タイガースに入団しました。    

・入団当初の背番号は「63」を着用。

・1994年シーズンから背番号「5」に。

・監督に就任した2022年の登録名は「BIGBOSS」。

正解は...

新庄剛志 選手でした!

1972年生まれ。

西日本短期大学附属高等学校から、1989年にドラフト5位で指名され、阪神タイガースに入団しました。背番号「63」を着け、1991年シーズンに一軍デビューを果たすと、1992年シーズン、初スタメン初打席の初球を初本塁打に。野球ファンに鮮烈な印象を与えます。

1994年シーズンからは背番号「5」を着け、相手の裏をかく意外性のある打撃や、強肩を活かした守備を武器に、絶大な人気を獲得。ゴールデングラブ賞は計10回獲得しています。2001年にはイチロー選手と共に、日本人野手初のメジャーリーガーとなり、海の向こうでも背番号「5」を着けました。

2004年シーズンからは北海道日本ハムファイターズでプレーし、背番号は「1」に。シーズン序盤に引退宣言をして臨んだ2006年シーズンは、北海道日本ハムファイターズの日本一に貢献。引退セレモニーの日に1日だけ、渡部龍一選手の背番号「63」を譲り受け、“新庄劇場”のラストを飾りました。

2021年に北海道日本ハムファイターズの監督に就任。2022年シーズンは登録名を「BIGBOSS」に変え、ファンを楽しませます。
監督就任の際には、「努力は一生 本番は一回 チャンスは一瞬」という言葉を残しています。

ゴールデングラブ賞は10回獲得素晴らしい記録を残しますが、主要タイトルとは無縁でした。しかし、敬遠球を打ってサヨナラ打、日本人初のメジャーで4番打者、オールスターでホームスチールなど、印象的なプレースタイルや言動で日本球界を盛り上げ続けた、「記録より記憶に残る」天性のエンターテイナーでした。


※情報は4月5日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」「投手」で統一しています。

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