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【16→17→23→16→61→16】この歴代背番号はだれ?1年間で、"良い日本記録"と"悪い?日本記録"を達成したドクターK

  • 2024.4.7

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

ロサンゼルス・ドジャースの背番号「17」と聞いて、思い浮かべる選手はいるでしょうか?NPBやMLBの各球団には、特別な意味を持つ背番号が存在しますが、同球団にとって背番号「17」は、日米の球史に残る成績を収めた左腕エースが身に着けたスペシャルナンバー。

当時日本人メジャーリーガーがまだ少なかった中で、日本人の軌跡を先駆け、パイオニアとなった選手とは一体誰なのでしょうか。

ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1992年にヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)に入団しました。

・1年目から背番号「16」を着けました。

・1997年シーズンにノーヒットノーランを達成。

・愛称は「ピン」

正解は...

石井一久 選手でした!

1973年生まれ。東京学館浦安高等学校から、1992年にドラフト1位で指名され、ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)に入団しました。速球派の先発左腕として期待され、着けた番号は「16」。1995年から先発ローテーションに定着し、13勝を挙げ、リーグ優勝と日本一に貢献しました。

1997年シーズンにノーヒットノーランを達成し、勝ち星は10。1998年のシーズンには開幕戦の先発投手を務め、自己最高の14勝を記録しました。最多奪三振のタイトルを獲得するとともに、シーズンにおける三振奪取率11.047という新しい日本記録(現在の記録は2019年の千賀滉大選手の11.33)も打ち立てました。またこの年は日本記録を20暴投を記録しました。

ヤクルトスワローズの黄金時代は「石井で始まり、石井で完結した」と称されるほどの大活躍でした。

2000年シーズンは10勝を挙げ、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。2001年シーズンは12勝を挙げ、チームを牽引しました。2001年シーズンオフにポスティング制度でMLBのロサンゼルス・ドジャースに移籍。背番号は、現在大谷翔平選手が身につけている「17」を着け、2005年シーズンにプレーしたニューヨーク・メッツでは「23」を背負いました。

2006年にヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)に復帰した際の背番号は、やはり「16」。2008年シーズンから現役を退く2013年シーズンまでは埼玉西武ライオンズでプレーし、背番号は変わらず「16」を着けました。

最速150キロ台中盤の速球と、大きく曲がるスライダー、キレのあるフォークを投げ分け、NPBの背番号「16」とMLBの「17」に輝きを与え、先駆者となったパイオニアの一人です。


※情報は4月3日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」「投手」で統一しています。

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