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阪神・岡田監督「タイガースへの思いがずっと消えることはなかった」第一次政権退任から15年…日本一達成で思わず出た“言葉”

  • 2024.5.5
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写真:SANKEI

昨季、阪神タイガースを率いてチームを38年ぶりの日本一へと導いた岡田彰布監督。就任2年目の今季も開幕からチームは好調。4月28日時点でセ・リーグ首位に立ち、球団初の「連覇」へ向けて最高のスタートを切っています。そんな“名将”は普段、ベンチで何を思うのか――その胸の内を公開します!

【本記事は岡田彰布・著『普通にやるだけやんか オリを破った虎』(Gakken)より一部抜粋して掲載しています。】

涙よりも出たのは、感謝の言葉

日本一より、そらリーグ優勝のほうがうれしかったよな。二度目の監督を引き受けて、まず優勝する、それが目標やからな。マジックが出てからはあっという間やった。最後は11連勝負けへんのやもん

うれしいというより、ほっとしたというかなあ。自分が監督をやっていた2005年以来なんやから。日本シリーズはご褒美のようなもんよ。38年ぶりの日本一やなんてなあ。選手がようやったよ

改めて振り返ると、すべてがうまくいった。こうしよう、ああしようというおれの考えがすべてはまった。だから、なんも変わったことはしてないんよ。普通にやるというのは、当たり前のことを当たり前にやるということなんやから。

だから涙なんて、出んかったわ。そらうれしいし、感激したけど、おれは勝って泣くということはないなあ。阪神で現役最後の試合、監督最後の試合、それは込み上げてくるもんはあったよ。選手のときは1993年か、甲子園やったなあ。監督は08年のCS、京セラやった。

いずれも心残りがあった。完全燃焼できなかった。だから余計に阪神タイガースへの思いが、ずっと消えることはなかった。今回日本一になって、タイガースのユニホームで宙を舞いながら、自分が一番素直に優勝を喜んでたと思うよ。

今回の優勝は普通に、感謝の言葉が出たなあ。ファンに対しては当たり前やけど球団、フロント、コーチ、選手、裏方の人たち、マスコミ……。すべてにありがとうございましたと言えたよなあ

前回はなかなか「ありがとう」とは言えんかった。言うタイミングがなかった。今回は優勝パレードのときなんか、ファンの方から「ありがとう」と言われたもんなあ。おれがありがとうと言うのはええけど、ファンからありがとうと言われたら、どう応えてええのか……。

おれは何も変わってないよ

周りからは「岡田監督は変わった」という声も聞くけど、自分ではそんなんないよ。穏やかになった、喜怒哀楽を出す、試合中もにこにこしている、カリカリしていないとか言われるけどなあ。そんなんおれは、何も変わってない。

一番変わったのは、まず結果よ。これだけすべて、打つ手がはまって勝っていったら、そらベンチでにんまりするわ。笑うし、手もたたくやんか。それだけよ。

それともう1つ変わったのはそら年齢よ。2005年の優勝は47歳で、今回は65歳やろ。18年ぶりの優勝ということは、おれも18歳、年取ったということやん。

18年は長いで。家族の周りや親戚も含めて、友人や知り合い、付き合いのある人がたくさん亡くなっている。それは誰しも同じ経験はするんやけど、やっぱりいろいろ自分の人生に影響はしてくるよ。

体力も落ちるし、穏やかになるのは当たり前やん。それと家族よなあ。今は孫が2人いる。小学1年生と3年生。じいじがタイガースのユニホーム着て、監督をしているのはよく分かっているよ。

キャッチボールの相手もするしな。なんや青柳のフォームが格好ええとか言うて、投げ方まで真似してたわ。東京ドームで見に来たときは、ベンチで近本や大山と握手して写真撮ってた。自分が変わったというより周りの環境が変われば、そら誰でも年相応の振る舞いになるやろ。

嫁さんも文章書いとった

優勝して嫁さんのとこにも、いろいろ取材が来てたわ。『婦人公論』にも文章書いてたなあ。息子の陽集は前に優勝した85年生まれやから38歳か。覚えやすいわ。商社マンやから優勝のときは、インドネシアにいた。そのときは単身赴任していたから、孫たちは嫁さんたちと甲子園に来ていた。

嫁さんとは知り合いの紹介で会ったんやけど、2カ月で婚約発表。おれのことを「面白い人だなあ、今まで出会ったことのない不思議な生き物だな」と感じたらしい。「それは40年以上たった今でも変わりません」やて。おれはどう言うたらええんや。

2024年からは孫たちもインドネシアに行くので、簡単には球場にも来れんやろなあ。前はドバイにも行っていたからなあ。今は世界中どこでも、ネットで野球は見れるし、周りには阪神ファンも多いようやけど。

陽集は「阪神・岡田の息子」というような生き方はしていない。おれもそう接したし、自分の人生やから普通の感覚を持って、生活したほうがええと思うしなあ。ハワイのV旅行の球団ゴルフコンペで、久しぶりに一緒にラウンドした。

よう飛ばすし、大学のときは、ゴルフ部でキャディーのバイトなんかもしてたなあ。スコアは90くらいかな。ハワイの球団コンペでは3位になってた。

陽集の結婚式もあくまで、本人中心の披露宴にした。主役2人の友人や知人、仕事関係の人たちが出席していた。おれの関係とか野球界の人には声掛けんようにした。呼んだのはデイリースポーツの改発さんだけや。席がないから「親族席」に座ってもらったわ。


抜粋・編集
花田雪
1983年、神奈川県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行い、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆。著書に『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)がある。

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