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【21→67→18→21】この歴代背番号はだれ?日本球界に復帰してすぐ最多勝を獲得した今も現役のレジェンド

  • 2024.3.20

【問題】ソフトバンクに在籍している選手でこの歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球選手の平均引退年齢は約29歳と言われています。選手のキャリアが10年を超える前に引退する選手が多い中、実働20年を超え、長きにわたるキャリアを築き、さらなる進化を続ける選手も存在します。

では、日米を経験し、類まれなるピッチングの才能で長年君臨しているピッチャーは一体誰なのでしょうか?

ヒント...

・大学時代、江川卓選手の通算奪三振記録を塗り替えるほどの実力を持っていました。

・背番号21が印象的な選手です。

・MLBでも「67」「18」を背負い2年間プレー。

・2024年現在もNPBに在籍し、「松坂世代最後の希望」と称されています。

正解は...

和田毅選手でした!

浜田高校から早稲田大学に入学。4年時には、52年の時を経て春秋リーグ連覇を記録し、江川卓選手が長年保持していた六大学野球の通算奪三振記録を破り、476奪三振を記録しました。

2002年には、ドラフトの自由枠で福岡ダイエーホークスに入団し、背番号「21」を背負って、1年目の2003年シーズンから先発ローテーション投手に定着。14勝をマークし、満票で新人王を獲得した上に、その年の日本シリーズでの第7戦に先発登板し、NPB史上初の新人として同シリーズで完投を遂げて胴上げ投手になりました。その後、5年連続での2桁勝利を記録し、五輪や第1回WBCに日本代表として出場。

2011年、左腕投手として史上最速のペースで通算200試合目での100勝を樹立しました。2011年のオフシーズンには海外FA権を行使し、MLB球団のボルチモア・オリオールズへ移籍。そこでは故障の影響でプレーせず、2014年にシカゴ・カブスへ移籍し、「67」を背負って同年7月に3年越しとなるMLB初登板を果たしました。シーズン4勝の活躍で日米野球のMLB代表に選出されるなど功績を残します。2015年には「18」を背負いますが、同年オフには、日本球界への復帰を決意。

2016年からは福岡ソフトバンクホークスで背番号「21」を身につけ、NPB界に返り咲きました。復帰1年目から最多勝利と最高勝率のタイトルを獲得し、2019年には、日本シリーズV3を決定した第4戦目で初めて先発投手としてマウンドに立ちました。その後、見事勝利投手となり、ファンや球団に完全復活を印象づけました。

2024年でも第一線で活躍する予定で、キャンプでのブルペンでは自身の背番号と同数の21球を投げて調整。"松坂世代最後の希望"として今季も期待が高まります。


※情報は3月12日時点のものです。

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