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【27→44→60→78→53】この歴代背番号はだれ?活躍するにつれて背番号を大きくしていった「不惑の大砲」

  • 2024.3.14

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球では一般に、選手がレギュラーに定着し、実績を残すうちに背番号の数字は小さくなっていくものですが、反対に、活躍するとともに背番号の数字を増やしていった選手が存在します。

「トラックの上でミサイルを発射させる発射台」の異名を取り、南海ホークスで長きに渡り主砲を務め、背番号を「27」から「44」、そして「60」へと変更していき、移籍したオリックス・ブレーブスでは「78」、次に移籍した福岡ダイエーホークスでは「53」を背負った名スラッガーです。

この選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1970年に南海ホークスに入団しました。

・背番号「27」でキャリアをスタート。

・1971年シーズンに打点王に輝きます。

・パ・リーグ一筋で、愛称は「不惑の大砲」「中年の星」

正解は...

門田博光 選手でした!

1948年に生まれ。天理高等学校を経て、クラレ岡山という社会人チームに所属し、1970年にドラフト2位指名され、南海ホークスに入団。入団当初は背番号「27」を身に着け、その番号は名選手を輩出する「出世ナンバー」として知られていました。

1971年には打点王として輝き、120打点を記録。1979年シーズンにアキレス腱を断裂するも、翌年には復帰するという超人的な治癒力を持ち、背番号を「44」に変更しました。そして1981年には44本塁打を打ち、本塁打王の称号を手にしました。

1983年には背番号を「60」に変更し、「60本塁打を目指す」と宣言しました。その言葉の凄みは単なるビッグマウスではなく、実現可能な実力者であることを示しているかのような活躍ぶり。また、1988年の40歳のシーズンには再び44本塁打、125打点を記録し、本塁打王と打点王の二冠を達成し、史上最年長でのMVPに輝きました。この活躍から、門田選手には「不惑の大砲」「中年の星」という愛称が付けられました。

1989年にはオリックス・ブレーブスに移籍し、背番号は「78」に変更。そして1991年には福岡ダイエーホークスに移籍し、「53」を背負いました。42歳で31発、40代で133発という今では考えられないほどの本塁打を量産し、年齢を感じさせないパフォーマンスでファンを虜にしました。

背番号は他の選手の傾向と逆行して次第に大きくなりましたが、通算567本塁打を放ち、歴代3位の通産記録を達成するという凄まじい功績を残したレジェンドとして語り継がれています。


※情報は3月12日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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