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【23→1→7→23→8→11→23→3→23】NPB史上で"たった一人しかいない"、シーズン200本安打を2度達成している「安打製造機」

  • 2024.3.16

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

球界に長く在籍している選手には、それぞれ思い入れのある背番号があります。その背番号は選手そのものをイメージづける重要な役割を果たし、ファンの中では印象深いものとなっています。

そんな中で、とある球団で活躍し、看板選手ともいえる人物が身につけている背番号の一つが「23」。その背景には、打撃タイプもポジションも違う2人の好打者が背番号の一時代を築いていました。

プロ野球には、出世番号と言われるものが多くありますが、中でも東京ヤクルトスワローズの「23」は群を抜いていい選手が身につけている傾向にあります。

では、そんな貴重な背番号を身につけている選手は一体誰なのでしょうか?

ヒント...

・1年目から6年間「23」を背負ってNPBで活躍。

・日米で活躍し、MLBでも愛着のある23番を背負った選手です。

・MLBでは合計7球団に移籍し、背番号が6回も変わりました。

・NPBでは、東京ヤクルトスワローズのみにこだわって在籍しています。

正解は...

青木宣親選手でした!

ドラフト4巡目で2004年東京ヤクルトスワローズに入団し、「23」を背負いました。初年度は二軍でのプレーが主でしたが、2年目の2005年には一軍の開幕を迎えますが、思う様に振るわない時期が続きます。しかし、監督である若松勉氏が信じて使い続け、中盤からはリードオフマンとしての役割を果たし、安打を量産するようになりました。その結果、セ・リーグでは初めてかつNPB史上2人目のシーズン200安打を達成し、打率.344で首位打者にも輝きました。

翌2006年は2年連続の首位打者とはなりませんでしたが、192安打で2年連続の最多安打、そして初の盗塁王に輝きました。その翌2007年には打率.346で再び首位打者の座に返り咲きました。2010年からは背番号「1」を身につけてプレー。この年にもシーズン209安打を達成し、2005年の202安打と合わせてNPB史上初の2度のシーズンで200安打を達成。

その後、2011年オフにポスティングシステムを通じてMLBに挑戦しました。

MLBでは、ミルウォーキー・ブルワーズで「7」、カンザスシティ・ロイヤルズとサンフランシスコ・ジャイアンツではお馴染みの背番号「23」、シアトル・マリナーズ「8」、ニューヨーク・メッツ「11」、トロント・ブルージェイズ「23」、そして自身最後のMLB球団となるヒューストン・アストロズで「3」を身につけました。

2018年にはNPBに復帰し、再び「23」を背負いました。そして4000打数の基準を超え、歴代トップの打率を誇る存在となりました。

2022年、日本シリーズの第5戦では、40歳9ヶ月という節目で3安打を放ちました。日本シリーズで40代が猛打賞を記録したのは1996年第1戦目の読売ジャイアンツで記録した落合博満選手(42歳10カ月)、2012年第5戦目の北海道日本ハムファイターズで記録した稲葉篤紀選手(40歳2カ月)以来、史上3人目の大記録となりました。

このように、NPBでは、初年度からみるみると成果を出す選手が身につける背番号を出世ナンバーと言いますが、その中でも東京ヤクルトスワローズの「23」を背負う選手は特に活躍選手が多く、2018年にメジャーから復帰して以来、背番号「23」を着用し続けている青木選手、また現役の中で「23」「1」を背負う山田哲人選手が存在します。共に最多安打と盗塁王のタイトルを獲得していますが、青木選手は左打者で外野手、山田選手は右打者で内野手という属性や打撃スタイルが異なります。どちらも甲乙つけがたいほどの優れた打者なことから、背番号の系譜は相応しい人物に継承されていると言えるでしょう。


※情報は3月12日時点のものです。

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