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【11→44→24→40→48→44→77→91】この歴代背番号はだれ?メジャー挑戦1年目で、奪三振率12.29を叩き出したレジェンド

  • 2024.3.12
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【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球では、各球団に特別な意味を持つ背番号があり、背番号「11」は、多くの球団でエースナンバーとされています。往年の名投手が着け、その系譜が脈々と受け継がれてきたのです。

では、横浜DeNAベイスターズで、長きに渡り背番号「11」を着けたこの選手が誰だかわかるでしょうか?歴史的にも、多くの背番号「11」の名投手がそうであったように、この選手もまた、海を渡りMLBで活躍しました。

この選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1991年に横浜大洋ホエールズに入団しました。

・1996年シーズンに初の2桁勝利。

・1998年シーズンに13勝を挙げました。

・MLBでは守護神としても活躍。

正解は...

斎藤隆 選手でした!

1970年生まれ。東北高等学校から東北福祉大学を経て、1991年にドラフト1位で指名され、横浜大洋ホエールズに入団しました。背番号は、エースが着ける「11」。首脳陣の期待の高さが窺い知れます。

2年目の1993年シーズンに球団は「横浜ベイスターズ」に変更し、先発ローテーションに定着。8勝、防御率3.81をマークしました。翌1994年シーズンは9勝、1995年シーズンには8勝を挙げます。1996年に初の2桁勝利となる10勝をマークするとともに、投球回196.2、206奪三振を記録したことでリーグ最多奪三振に輝きました。

1997年に右肘を手術し、1998年シーズンに復帰。13勝5敗、防御率2.94を記録し、横浜ベイスターズの日本一の原動力となり、カムバック賞を受賞します。2006年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、4月にメジャーに昇格。背番号「44」を着けて守護神を務め、チーム最多となる72試合登板24セーブの好成績を残しました。

また、ロサンゼルス・ドジャース移籍1年目には72試合に登板し、投球回78.3を記録して107奪三振を達成。この成績により、大リーグの救援投手として最も多くの奪三振を記録し、奪三振率は脅威の12.29を叩き出しました。投球速度が向上すると同時にスライダーの威力も増し、日本での実績を超える高い奪三振率を記録しました。

その後は、ボストン・レッドソックス、アトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブルワーズ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスと渡り歩き、背番号は「24」「40」「48」を着けました。2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団し、日本球界に復帰。同球団では「44」を背負い、2015年に現役を引退しました。

どの球団でも高く評価され、大洋ホエールズに始まり、東北楽天ゴールデンイーグルスを含めた7つの球団でプレーしてきました。 この所属数は、後藤修選手、野茂英雄選手、木田優夫選手に次ぐ大記録です。


※情報は3月7日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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