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松井秀喜の象徴「背番号55」の前任者って知ってる?まさかのヤンキース繋がり!?

  • 2024.4.3

【問題】松井秀喜選手の背番号「55」この前任者は誰でしょう?

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TRILL作成

プロ野球選手の背番号には、一般的にエースが「18」、中心打者が1桁番号というイメージがありますが、中には大きな番号でも、その選手の名前とともに歴史に刻まれることもあります。例えば、オリックス・ブルーウェーブ時代のイチロー選手が着けていた「51」や、読売ジャイアンツ時代の松井秀喜選手の「55」などがその代表例です。

イチロー選手の「51」は、彼がメジャーリーグに移籍した後も、誰もが継承することなく“準永久欠番”として扱われています。一方で、松井秀喜選手の「55」は、彼がヤンキースに移籍した後、2009年から大田泰示(現DeNA)が5年間着用し、現在は期待の若手・秋広優人選手が背負っています。

こうした背番号の系譜はファンにとって気になるところではないでしょうか?では、松井秀喜選手のイメージが強い55番を前任者として背負っていた人物は一体誰でしょう?

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写真:SANKEI

前任者は元ヤンキースの助っ人…!

松井選手の前任者は、"チャック・ケアリー"選手でした!

1985年にMLBのデトロイト・タイガースに入団し、期待される存在として注目されました。1987年1月27日のトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍。1989年にはニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、1990年には27試合に先発。その後1992年に来日し、推定年俸6500万円で読売ジャイアンツへ入団しました。

一年目のシーズンは、クローザーや先発としてプレーし、オープン戦では速球を駆使して先発とリリーフの両方で活躍できると評価されました。シーズン開幕後はクローザーとしてデビューし、4月12日に初セーブを記録。5月からは先発としても起用され、6月7日の対中日戦で初勝利を挙げ、シーズン終了後の11月30日にわずか一年で退団しました。

松井秀喜選手(1993~2002)の印象が強い歴代背番号「55」の前任は、チャック・ケアリー選手(1992)、杉浦 守選手(19861991)、吉村禎章選手(19821985)という系譜で受け継がれていきました。中でも、チャック・ケアリー選手は歴代の背番号「55」の中で唯一の外国人選手でした。

長身から投げ下ろす140km/h台の速球やシンカーを持ち味としており、読売ジャイアンツで1年間のみ「55」を背負った外国人選手。松井秀喜選手の象徴だった背番号の系譜は、意外にも投手の歴史もあるユニークなナンバーでしたね。

巨人の主な背番号55の選手一覧

・淡口憲治(1972~1973)

・吉村 禎章(1982~1985)

・杉浦 守(1986〜1991)

・大田泰示(2009~2013)


※記事の情報は3月28時点のものです。

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