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【57→5→35→44】この歴代背番号はだれ?王貞治と並ぶ7試合連続本塁打を放ち、NPB史上最高の首位打者となった神の助っ人

  • 2024.3.26

【問題】MLBと阪神に在籍していた選手でこの歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球の各球団に存在する特別な背番号はスペシャルナンバーと呼ばれ、実績のあるスター選手はもちろん、これから活躍が期待される若手がその番号を背負います。

では阪神タイガースで背番号「44」を着け、「助っ人外国人」として期待に違わぬ活躍を見せた、最強の外国人スラッガーの一人をご存知でしょうか?シーズン打率のNPB記録を打ち立てたあの選手です。

この選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1983年に阪神タイガースに入団しました。

・1985年シーズンに54本塁打をマークし、三冠王に。

・1986年シーズンに2年連続で三冠王を獲得。

・シーズン打率.389のNPB記録保持者。

正解は...

ランディ・バース 選手でした!

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写真:SANKEI

1954年生まれ。MLBからNPBに移籍した助っ人外国人選手で、モントリオール・エクスポズで背番号「57」、サンディエゴ・パドレスでは「5」、テキサス・レンジャーズで「35」を背負い、プレーしました。「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と呼ばれていましたが、守備に難があったことで即戦力にはなれずにいました。

MLBのモントリオール・エクスポズのチームメイトだったウォーレン・クロマティ選手が日本に渡ったことにより、NPB球団にも関心を寄せ、契約交渉を開始。その後、ヤクルトスワローが契約寸前まで至りましたが、守備の課題と一塁手の重複により合意にはならず、最終的に阪神タイガースと阪急ブレーブスが獲得競争を行い、1983年には、阪神タイガースに入団。背番号は「44」を背負い、来日1年目から35本塁打を放ち、2年目からは高打率のホームランバッターとして活躍します。

3年目の1985年シーズンには54本塁打、134打点、打率.350をマークし、セ・リーグ外国人選手としては初となる三冠王に輝き、MVPも獲得。チーム21年ぶりの優勝、日本一の立役者となりました。

1986年シーズンには、今なお破られてない、シーズン打率.389のNPB記録を打ち立て、47本塁打、109打点で2年連続の三冠王に。1987年シーズンは37本塁打を放ちました。日本でプレーしたのは6年間でしたが、数々の記録を打ち立て、「史上最高の外国人選手」と称されることも。

掛布雅之選手、岡田彰布選手と強力なクリーンナップを形成し、読売ジャイアンツ・槙原寛己選手から放ったバックスクリーン3連発は伝説として語り継がれています。また、1972年に王貞治選手が唯一達成した7試合連続本塁打という記録は、1986年6月26日にランディ・バース選手が後楽園球場で見事達成し、いまだにNPB史上二人しかいない大偉業は後世に残ることでしょう。


※情報は3月15日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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