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【1→8→9】この背番号はだれ?歴代で4人しかいない記録を持ち、42歳で規定打席に到達したスラッガー

  • 2024.3.30

【問題】この歴代背番号はだれ?

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日本プロ野球において、特別な意味を持つ背番号「1」。チームの顔とも言える選手が着けるスペシャルナンバーで、少数派ではあるものの、エース投手が背負うこともあります。

そんな背番号「1」を背負い、1999年から2007年まで中日ドラゴンズの“顔”としてプレーした選手をご存知でしょうか?中日ドラゴンズの黄金時代を築き、その後、海を渡ったあのスラッガーです。

この選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1998年に中日ドラゴンズに入団しました。

・背番号「1」でプロ1年目をスタート。

・2002年、2006年シーズンに首位打者を獲得

・愛称は「ドメさん」。

正解は...

福留孝介 選手でした!

1977年生まれ。PL学園高等学校から、社会人野球チームの日本生命を経て、1998年にドラフト1位で指名され、中日ドラゴンズに入団しました。背番号「1」で自身のキャリアをスタートし、開幕戦でスタメン起用。ルーキーイヤーは打率.284、16本塁打、52打点の成績を収めました。

2002年シーズンに打率.343をマークし、初の首位打者に。球団のシーズン最多安打記録を更新する186安打を放ち、ベストナインに選ばれます。2003年シーズンは打率.313、34本塁打、96打点の活躍。2005年シーズンは打率.328、28本塁打、103打点をマークしました。

第1回WBCの日本代表に選出された2006年シーズンは、打率.351、31本塁打、104打点をマーク。2度目の首位打者に輝き、MVPを獲得します。2008年にMLBのシカゴ・カブスに移籍しますが、背番号はそのまま「1」を着けました。

2012年シーズンオフに阪神タイガースに移籍し、背番号が「8」に。主軸打者として活躍し2016年シーズンに史上6人目となる日米通算200安打を達成します。2020年シーズンオフに古巣中日ドラゴンズに復帰し、着けた番号は「9」。2022年に現役を引退しました。

さらに、プロ野球選手が42歳以上のシーズンで規定打席に到達することは、その球団にとって初めての快挙となり、プロ野球史上7人目の偉業となります。「鉄人」として広く知られる金本知憲選手ですら、この記録を達成していません。

他に42歳シーズンで規定打席到達を果たした選手は、阪急ブレーブスの戸倉勝城選手(1956年)、南海ホークスの野村克也選手(1977年)、オリックス・ブレーブスの門田博光選手(1990年)、読売ジャイアンツの落合博満選手(1995年)、東北楽天ゴールデンイーグルスの山崎武司選手(2010年)、中日ドラゴンズの谷繁元信選手(2012年)の計6人しかいません。42歳で規定打席に到達することは、レギュラーとしての証明とされる偉業であり、そのハードルは非常に高いとされています。

福留選手は、「ON」も成し遂げていない晩年の大偉業を成し遂げ、持ち味のフルスイングでファンを魅了したスラッガーとして申し分ない伝説の選手の一人です。

また、サイクル安打を2度達成しており、複数回達成したのは、藤村富美男選手、松永浩美選手、ロバート・ローズ選手と福留選手の4名しかいない記録です。二度目に達成した、2016年39歳3ヶ月での達成は、史上最年長記録でした。


※情報は3月22日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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