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【6→60→6→3】この歴代背番号はだれ?"6"にこだわるも最後は憧れの長嶋茂雄と同じ"3"を着けたレジェンド

  • 2024.4.5

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球の各球団には、特別な意味を持つ背番号、スペシャルナンバーが存在し、類まれな成績を残した選手の背番号は、球団の永久欠番となることも。

ただ、球史に残る成績を収めても、複数チームを渡り歩いた選手の場合、永久欠番にはなりにくいもの。今回ご紹介するのは、そんな名選手の一人です。

日本プロ野球で唯一、3回三冠王に輝き、NPB史上最高の右打者の一人とも称される、伝説のスラッガーです。この選手がだれなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1978年、ロッテオリオンズへの加入を果たしました。    

・入団当初から背番号「6」を着用。

・史上最多となる3度の三冠王。

・史上初の両リーグ本塁打王獲得者。

正解は...

落合博満 選手でした!

1953年生まれ。秋田県立秋田工業高等学校から東洋大学、社会人野球チームの東芝府中を経て、1978年にドラフト3位で指名され、ロッテオリオンズに入団しました。着けた背番号は「6」。デビュー1年目から1桁の背番号は大きな期待の表れでした。

当時の背番号「6」は、内野の名手たちが背負ってきたナンバーであり、落合博満選手にもまた、背番号「6」をスペシャルナンバーに昇華させるチャンスがあったと言えるでしょう。3年目の1981年シーズンに首位打者に輝くと、翌1982年シーズンには、戦後最年少で三冠王のタイトルを手にします。

1986年シーズンには2年連続、史上最多となる3度目の三冠王を獲得。1987年に中日ドラゴンズに移籍しても背番号「6」を着け続けました。1994年、読売ジャイアンツへの移籍時、篠塚和典選手が既に「6」の背番号を使用していたため、背番号を「60」に変更。ですが、1994年シーズン限りで篠塚和典選手が引退を発表したため、1年で背番号を「6」に戻しました。

1997年には日本ハムファイターズに移籍しましたが、田中幸雄選手が「6」を背負っていたため、新たな背番号は、憧れの長嶋茂雄選手の代名詞とも言える「3」に。1998年シーズン限りで現役を引退し、2004年、中日ドラゴンズの監督職に就いたとき、その背中には「66」がありました。

現在は、YouTubeなどのメディアで野球に関する見解や情報を発信中。また、『落合博満のオレ流転生』という自身の異世界転生漫画が巷で話題になるほどの人気ぶりを維持し続けています。現役で見せた"神主打法"は、まさにオレ流という言葉に恥じない誰にも真似できなかった天才打者・落合博満選手唯一の神業です。


※情報は4月3日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」「投手」で統一しています。

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