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【41→18→38→21→11】この歴代背番号はだれ?エースナンバーを背負えるから移籍を決断!?

  • 2024.3.24

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

プロ野球の各球団に存在する特別な背番号、スペシャルナンバー。スター選手がその番号に輝きを与え、次世代の選手へと脈々と受け継がれていきます。

では、阪急ブレーブスでエースナンバー「18」を着け、NPB歴代2位の通算350勝を記録した選手をご存知でしょうか?2年目から19年連続で2桁勝利達成という、不滅の大記録を打ち立てたあの選手です。

抜群のスタミナから「ガソリンタンク」の異名を取ったこの選手が誰なのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1956年に阪急ブレーブスに入団しました。

・1957年シーズンに21勝をマーク。

・パ・リーグ記録の11完封を達成。

・愛称は「ガソリンタンク」「人間機関車」

正解は...

米田哲也 選手でした!

1938年生まれ。鳥取県立境高等学校から、1956年に阪急ブレーブスに入団しました。背番号「41」でキャリアをスタートし、180cmの長身から大型の右腕として期待されました。

当時、米田選手の契約は大阪タイガースと阪急ブレーブスの二重契約が話題になっていましいたが、エースナンバーである「18」を背負えるというこだわりから、わずか1週間で阪急ブレーブスへ移籍します。1年目から9勝を記録し、2年目には21勝、防御率1.86をマーク。1958年シーズンは23勝と、現在も破られていないパ・リーグ記録の11完封を達成し、同僚の梶本隆夫投手とともにチームを牽引したことから「ヨネカジ時代」と称されました。

1966年シーズンは25勝で最多勝、1968年シーズンはキャリアハイとなる29勝を記録し、MVPを獲得。1973年シーズンは防御率2.47で最優秀防御率に輝きます。底知れないスタミナを誇り、「ガソリンタンク」の異名を取りました。

1975年シーズン途中で阪神タイガースへ移籍、背番号「38」を着けます。その後背番号を「21」に変え、1977年シーズンから所属した近鉄バファローズでは「11」を着けてプレーしました。

2000年に野球殿堂入り。通算成績は、949試合、350勝285敗2セーブ、防御率2.91、3388奪三振。949試合登板は、2017年に岩瀬仁紀選手に抜かれるまで歴代1位でした。長身から投げ下ろす速球とフォークを武器に、毎シーズン安定的な成績を出し続け、19年連続で2桁勝利という大記録を打ち立てるなど数々の記録を打ち立てた大投手です。


※情報は3月15日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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