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【10→6→5→10→7】この歴代背番号はだれ?12年連続で100安打以上を放ち、打率3割超えが9度もある名打者

  • 2024.3.10

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

選手自身にとっても、チームにとっても、そしてファンにとっても特別な数字である「背番号」。各球団には特別な意味を持つスペシャルナンバーが存在し、めざましい活躍を見せた選手が着けていた背番号は、永久欠番になることも。

プロ野球で最多の3球団で永久欠番となっているのが、背番号「10」です。通算3085安打を残した張本勲選手から、背番号「10」を着けた左の強打者が続々と登場しました。

一体この選手は誰なのでしょうか?ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1968年にプロ野球入りしました。

・背番号「10」を着け、1973年シーズンに首位打者を獲得。

・1973年シーズンから5年連続打率3割以上。

・1979年シーズンに2度目の首位打者に。

正解は...

加藤秀司 選手でした!

1948年生まれ。PL学園高等学校から、社会人野球チームの松下電器を経て、1968年にドラフト2位で指名され、阪急ブレーブスに入団しました。着けた番号は、左の強打者が背負う「10」。2年目の1970年シーズンは、35試合出場ながら打率.333をマークし、西本幸雄監督から高い評価を得ました。

1971年シーズンから三番、一塁に定着し、打率.321を記録。1973年シーズンには打率.337で首位打者に輝き、この年から5年連続で3割以上をマークします。1975年、1976年シーズンは打点王を獲得し、1975年シーズンはMVPにも輝きました。

レギュラーに定着した、1971年〜1982年まで12年連続で100安打以上を記録し、実働19年中、9年で打率3割以上を放ちました。

1979年シーズンは打率.364を記録し、2度目の首位打者に。3度目の打点王も獲得しました。下半身を上手に使った難球を犠飛にする卓越したバッティング技術を持ち、105犠打という、歴代2位の記録を持っています。1983年に広島東洋カープに移籍した際の背番号は「6」で、その後は近鉄バファローズで「5」、読売ジャイアンツで「10」、南海ホークスで「7」を着けました。

「二塁打男」の異名も持ち、6試合連続二塁打、1試合3二塁打5回の記録を持っています。1987年に現役を引退しました。ちなみに、三冠王を三度達成した落合博満選手は、プロ入り当初に加藤秀司選手を参考にしたと語っています。レジェンドの見本となったレジェンド。その功績は今なお色褪せていません。


※情報は3月7日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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