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【66→3→5→66→8→205→99】この歴代背番号はだれ?栄光と挫折を味わった平成を代表するスラッガー

  • 2024.3.8

【問題】この歴代背番号はだれ?

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TRILL作成

NPBに背番号が導入されたのは1931年のこと。当時は漢数字を用いたり、名前順で背番号を決めたりと、今ほど複雑ではありませんでした。

時が流れ、今や背番号は選手の「もう一つの顔」に。各球団にスペシャルナンバーが存在し、今回題材にする選手の背番号も特別な意味を持つものとなっています。

イラストで出題した背番号「5」は、この選手が所属していた球団の代表的なナンバーの一つ。歴代でも球界を牽引する名スラッガーたちが背負い、チームを代表する選手のみが身につけることができる番号です。一体この選手は誰なのでしょうか?ぜひ考えてみてください!

ヒント

・1991年にドラフト4位指名され、背番号「66」を背負いました。

・プロ入り3年目から一軍に定着。持ち前の打撃力でチームに貢献します。

・2000年シーズンに39本塁打を放ち、本塁打王、打点王の二冠を獲得。背番号「5」の威厳を見せます。

・2007年シーズンには、育成契約から這い上がり、「205」を身につけ、一軍で活躍

正解は...

中村紀洋 選手でした!

1973年生まれ。大阪府立渋谷高等学校から、1991年にドラフト4位で指名され、近鉄バファローズに入団。入団当初は背番号「66」を着けていました。

3年目から一軍に定着し、1997年シーズンからは背番号「3」を着け、2000年シーズンに39本塁打、110打点で本塁打王、打点王のタイトルを獲得。2001年シーズンからは、大阪近鉄バファローズを代表する背番号「5」をまとい、「いてまえ打線」の4番に座ります。132打点で2年連続で打点王にも輝きました。

2005年にMLBに挑戦。背番号「66」を着け、ロサンゼルス・ドジャースで1年間プレーしました。2006年にオリックス・バファローズに移籍し、背番号は「8」に。2007年に移籍した中日ドラゴンズでは「205」を背負い、育成選手からのスタート。年俸も推定2億円から推定600万円に減少し、挫折を経験するも、そこから這い上がり、背番号を「99」にするとともに、日本シリーズでMVPを受賞するという逆境からの栄光を達成しました。。

2013年には、横浜DeNAベイスターズで通算2000安打を達成。栄光とどん底の両方を味わい、見事に復活した名選手です。


※情報は3月4日時点のものです。
※背番号歴は選手の現役時代のみを記載しています。
※現在現役・引退をした選手に関わらず敬称は「選手」で統一しています。

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