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【32→7→25→16→7→3→32→7】巨人坂本が憧れ、日本球界最強のオールラウンダーと謳われた名選手

  • 2024.3.7

【問題】この歴代背番号は誰?

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TRILL作成

巨人の「61」、広島の「51」、ヤクルトの「23」など、各球団には、その番号をつけた選手は大成することが多いことから"出世番号"と言われる背番号が存在します。ある球団では「32」が出世番号とされており、背番号を受け継ぐ中で、今もなお歴代の名選手や球団の特徴的な系譜が続いています。   

そんな中、走攻守どれをとっても一流かつ、日米で活躍できる選手は現代でもごくわずかです。

今回ご紹介する選手も32番を象徴する選手の1人。いったい誰なのでしょうか?

ヒント...

・プロ1年目に「32」を背負ってデビュー。

・2002年にはスイッチヒッターとしてトリプルスリーを達成。

・日本人初の内野手としてMLBに移籍し、計3球団に在籍。

・現在はNPBで監督業をしています。

正解...

松井稼頭央選手でした!

PL学園高校を卒業後、1993年にドラフト3位で指名され、背番号32を背負って西武ライオンズに入団。2年目から一軍初出場を果たし、69試合に出場。

1996年からレギュラーとして定着し、その後三拍子揃った優れた選手として2003年まで全試合出場し、チームに大きく貢献しました。自身のブレイクのきっかけとなる初の全試合出場を果たした1996年シーズンオフに、背番号を「7」へと変更。西武ライオンズにて「32」を背負った期間は3年と短かったため、7番の方がファンにとっては印象深いのではないでしょうか。

また、リーグ優勝を3度経験し、2002年には史上8人目かつ初のスイッチヒッターとして3割30本30盗塁のトリプルスリーを達成しました。

2004年にはFA権を行使してメジャーリーグに挑戦し、ニューヨーク・メッツ「25」、コロラド・ロッキーズ「16」「7」、ヒューストン・アストロズ「3」と様々な背番号を背負ってプレーしました。コロラド・ロッキーズ時代の2007年には、ワールドシリーズに出場。MLBでも持ち前の俊足を活かしました。

2011年には楽天に移籍し、再び背番号「32」を身につけました。翌年2012年、背番号は「7」に。精神的支柱として2013年には日本一へ導きました。2017年オフには兼任コーチとして西武に復帰し、2018年に引退しました。

NPBの規定上、通算成績のランキングは日本の成績のみとなりますが、日米通算が認められれば、安打数4位、盗塁6位、二塁打2位、三塁打6位と驚異的な数字を残しています。

NPB通算成績は1913試合、2090安打、201本塁打、837打点、363盗塁で、打率は.291でした。引退後は西武の二軍監督として活動し、2022年には一軍ヘッドコーチに就任。2023年からは一軍監督を務めています。

また、巨人の坂本選手は、度々松井選手が憧れであったコメントを残しており、打力、走力、肩力、守備力全てで高い能力を持ち、日本球界最強のオールラウンダーとも謳われていました。


情報は3月4日時点のものです。