【問題】1957年にこの成績を残した選手はだれ?
球界には、学生時とのギャップに馴染めず中々環境にフィットしない選手が多い中、高卒一年目からいきなり活躍する選手も存在します。また、長い選手人生の中で故障なくプレーし続ける選手もそう多くはありません。
そんな厳しい環境で、投手として輝かしい奪三振数を誇り、野球殿堂入りをした選手がNPBに在籍していました。
そんな偉大な選手とは一体誰なのでしょうか?
ヒント...
・1954年にNPB入りしました。
・開幕戦で先発に選ばれるほどの才能があり、いきなり勝利投手に。
・20年間ほとんど故障なくプレーをし続けるというフィジカルの強さも持ち合わせています。
・2007年に野球殿堂入り。
正解...
梶本隆夫選手でした!
1954年、岐阜県の岐阜県立多治見高等学校を卒業後、梶本隆夫選手は阪急ブレーブスに入団しました。デビューイヤーから驚異的な活躍を見せ、開幕戦でいきなり先発投手に選ばれ、その試合で勝利投手となりました。同年は55試合に登板し、20勝12敗という素晴らしい成績を記録しました。
3年目には28勝、防御率2.24に加えて327奪三振を奪ったことから当時は正式なタイトルではなかった最多奪三振を達成し、ベストナインにも選ばれました。翌年にも301奪三振で2年連続の最多奪三振達成者となり、南海ホークス戦で9者連続奪三振という日本記録の偉業を達成しました。
1953年には、プロ野球初となる「三者連続三球三振」を達成し、1957年に達成した、公式戦での「9者連続三振」は、2022年に千葉ロッテの佐々木朗希選手が、13者連続三振を達成するまで、65年間破られていない記録でした。
1967年にも15勝を達成し、その年には球団の初優勝も果たしました。この時期に、パームボールという変化球を駆使し、投球の幅を広げました。
1968年と1969年にも12勝と18勝を挙げ、チームのパ・リーグ3連覇に貢献しました。
1973年に現役を引退し、コーチに転身。1979年からは2年間のみ阪急ブレーブスの監督を務め、2007年には野球殿堂入りを果たしました。現役では奪三振を3度記録し、長身から繰り出す剛速球とドロップを武器に、20年間にわたりほとんど故障なく投げ続けた剛腕投手です。
情報は3月4日時点のものです。