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【防御率2.90/12勝/230奪三振】日米野球のエースとして"ワールドシリーズ王者を完封"した剛腕投手

  • 2024.3.3

【問題】1991年にこの成績を残した選手はだれ?

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TRILL作成

三振は、野球というスポーツの中で確実なアウトを取れるシンプルかつ至高の方法の一つ。しかし、世界でもトップレベルの優勝争いを繰り広げるNPBで強打者を打ち取ることはそう簡単ではありません。ピッチャーは自他ともに研究を積み重ね、その到達点に三振という投手の醍醐味を味わえるのです。

では、そんな厳しい環境の中、現役時代に3度の最多奪三振を記録した選手とは果たして誰なのでしょうか?

今回は、並いる強打者を次々と打ち取った名投手をクイズで出題します。

ヒント...

・1980年にドラフト1位指名。

・3度の最多奪三振タイトルを獲得しています。

・現役時代はセ・リーグ一筋でプレー。

・助っ人選手でもそうはいないサウスポーのスイッチヒッターでした。

正解...

川口和久選手でした!

1980年にドラフト1位指名され、広島東洋カープに入団。一軍に昇格した2年目。初登板の大洋ホエールズ戦で先発投手となり、無事にプロ人生初勝利を飾りました。同年には初完投勝利も記録し、防御率1.94、4勝を達成。

3年目には、先発ローテーションに加わり、オールスターゲームに初出場しました。同年はセ・リーグ最多である32試合の先発出場を果たし、自身初の規定投球回に到達し、シーズン15勝を記録しました。

1984年には、日米野球に出場し、日本一になった広島東洋カープと1983年にワールドシリーズを制覇したボルティモア・オリオールズとの世界一を賭けた試合が開催されました。

日本シリーズでもすでに1勝を挙げていた川口選手は、第1戦目の先発投手として登板します。序盤から自慢のストレートが神がかり、オリオールズ打線を瞬く間に打ち取っていきました。9回を6安打無失点10奪三振の超好投で完封勝利を挙げ、打撃でもタイムリーヒットが決勝打となり、見事1-0で勝利するというまさに独壇場でした。

FA宣言をして巨人に移籍すると、1996年の優勝争いに球団の守護神として登板。同年10月6日の中日ドラゴンズ戦では5-2の8回裏途中か投げ、最終打者を得意の三振で打ち取り、見事胴上げ投手となりました。

ストレートに定評があり、キレが凄まじいため、ここぞという場面で着実に三振を奪うポテンシャルが備わっていた川口選手。通算成績は435試合に登板し、139勝、135敗、4セーブ、防御率3.38。また、1987年、1989年、1991年に最多奪三振記録を合計3回獲得していて、通算2000奪三振という輝かしい記録を持っています。

本格サウスポーから放たれる弾丸ストレートと、スピンがかかった縦に曲がるカーブを駆使し、三振を量産する投手王国の要でした。現役時代、合計4回の優勝に貢献したレジェンドピッチャーの1人です。


※情報3月1日時点のものです。

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