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【防御率1.73/42勝/282奪三振】日本初の300勝を達成し、今も最多勝獲得回数歴代1位を保持する伝説の投手

  • 2024.3.1

【問題】1939年シーズンにこの成績を残した選手はだれ?

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豪速球で並み居る強打者を封じていくピッチングは見応えがありますよね。その時代の顔とも言うべき大投手の多くが速球を武器とし、プロ野球の歴史に燦然と輝く記録を残しました。

では、プロ野球草創期に、沢村栄治選手と並ぶ豪速球投手として名を馳せた選手をご存知でしょうか?191センチの長身から投げ下ろす直球は威力十分。「二階の屋根からボールが落ちてくるようだ」と評されることもありました。

今回は、沢村栄治選手と肩を並べた豪速球投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1936年にプロ野球入りしました。

・3937年の春から5シーズン連続で最多勝に輝きます。

・1939年シーズンに、プロ野球タイ記録となる42勝をマーク。

・史上初の通算300勝、83完封を記録しました。

正解は…

ヴィクトル・スタルヒン選手でした!

こちらは、1939年シーズンの成績です。

ロシア革命で日本に渡り、北海道の旭川で幼少時代を過ごします。旧制旭川中学校で甲子園を目指しますが、中退し、日米野球の全日本チームに参加。そのまま読売ジャイアンツの前身である大日本東京野球倶楽部に入団しました。

191cmの長身から投げ下ろす速球が持ち味で、1937年の春から5シーズン連続で最多勝投手に。また、同年の春リーグでは、7月3日に行われた後楽園イーグルス戦でノーヒットノーランを達成し、NPB史上2人目の偉業を成し遂げ、13勝を記録。その後の秋リーグでは15勝を記録し、最多勝利のタイトルを手に入れ、沢村栄治選手の後継者として、球団のエースの地位を築き上げました。

1939年シーズンには、史上初かつプロ野球タイ記録となる42勝を挙げます。その後、日本情勢の変化から、1940年9月に和名である「須田博」でプレーしました。

最多勝獲得6回、連続最多勝獲得5回は共に、今も日本プロ野球歴代1位の記録を保持します。

ストレート以外の持ち玉は、ドロップ、シュート、シンカー。晩年は、揺れながら落ちる「アベックボール」も操りました。情勢に翻弄されつつも、球史に残る成績を収めた大投手です。


※情報は2月29日時点のものです。

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