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【防御率2.87/18勝9敗/186奪三振】クロマティが「大リーグでもスターになれる」と称賛した、高速フォークを操る名投手

  • 2024.2.26

【問題】1983年シーズンにこの成績を残した選手はだれ?

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奪三振を得意とする投手の中には、フォークボールを決め球に持つ選手が多くいます。ストレートに近いモーション、軌道で放たれたボールが、ホームベース手前でストンと落ちるので、強打者でも簡単に攻略できません。

そんなフォークボールを最大の武器とし、数々の名バッターを手玉に取ったレジェンド右腕がいます。オーバースローから投げ下ろされるフォークボールは威力抜群で、沢村賞も受賞しました。

今回は、フォークボールを武器に球史に残る成績を収めた大投手をテーマに、クイズを出題。

イラストの成績がどの選手のものなのか、ぜひ考えてみてください!

ヒント…

・1977年にプロ球団入りしました。

・2年目に12勝を挙げました。

・1983年シーズンに18勝をマークし、沢村賞を獲得。

・名助っ人ウォーレン・クロマティ選手から、「あれなら大リーグでもスターになれる」と評しています。

正解は…

遠藤一彦選手でした!

こちらは、1983年シーズンの成績です。

石川高等学校から東海大学へ、そして1977年にドラフト3位で指名され、横浜大洋ホエールズに入団しました。2年目から同球団の主力投手になると、1982年シーズンにその才能が開花。自己最多の14勝を挙げます。

また、遠藤選手の代名詞であるフォークボールには意外なルーツがあります。1979年に、野球のキャンプで捕手の辻恭彦選手からフォークボールの投球を勧められ、フォークの達人である村山実選手と捕手としてコンビを組んでいた選手直々に様々なアドバイスをされました。これをきっかけに、村山選手を参考にした本格的なフォークボールを投げ始め、試行錯誤の末に、ストレートのような軌道と回転を持ちながらも、打者の手前で劇的に落ちる高速フォークを身につけました。  

1983年シーズンは18勝、16完投で最多勝、最多奪三振、最多完投のタイトルを獲得。そして一流投手の証とも言える沢村賞も受賞しました。翌1984年シーズンも17勝を挙げ、連続タイトルに輝きます。1987年10月の読売ジャイアンツ戦でアキレス腱を断裂するも、1990シーズン年には6勝21セーブでカムバック賞を受賞しました。

オーバースローの高い位置から投げ下ろすスタイルで、入団直後は変化球の持ち球がカーブしかなかったものの、入団2年目にその後代名詞となるフォークボールを習得。シュート気味に落ちるものと、スライダー気味に曲がりながら落ちるものの2種類のフォークを投げ分けました。

巨人史上最強助っ人とも呼ばれるクロマティ選手は「大リーグでもスターになれる」と遠藤選手を称賛するコメントを残しています。

多くの強打者たちから空振りを奪った、伝説のフォークボールの使い手です。


※情報は2月26日時点のものです。

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